(2013年筆)
ここからは、いよいよ20万年前以降の日本の歴史についてお話してまいりますが、その前に超古代史についての混乱した現状について申し上げたいと思います。それは、神話を読むときこれをどう考えるかということであり、日本の場合では「古事記」「日本書紀」の記述をどう評価するかという問題ともなります。
例えば、神武東征は歴史的事実ではないと断定する意見があります。神武東征は天孫降臨という神話の続きで歴史的事実ではないというこの立場は、津田左右吉に始まり現代の直木孝次郎や井上光貞によって引き継がれ半ば定説化している考えで、戦時中の非合理的・独断的こじつけや辻褄合わせ的な皇国史観に対する批判としては大変に有効であったと思われます。この考えを神話造作説と呼んでよいと思いますが、しかしこの考え方自体もあくまで推測の域を出ないもので、断定するに足る証拠は何一つないのです。
そこで、もっと事実考証を重ねて大和王権一本やりの歴史観から脱し、それに基づいて神話を考察しようという立場も現れてくるわけです。例えば、アマテラスとスサノヲの高天原における戦い・和睦等について、
「縄文人・オオクニヌシ族が、弥生人・スサノオ族に『国譲り』し、スサノオ族による政権が成立した。数世紀後、渡来人・アマテラス族がこの政権に入れ替わり大和政権を建てたという歴史的背景がある」
とするような考えがその例です。けれども、こうした立場もまた研究者により百人百様で、決定的証拠に欠けていることは否めません。
これに対し、「古史古伝」研究者(?)という立場があり、これらの人々は、
「我国の超古代を扱った文献には、『記紀』という官製の(勝者の)歴史のほかに民間の文献が存在しており、それらはいずれも記紀以前に書かれたか、オリジナルは残っていないが後世それを編纂・補足したものであり、これらこそ神代・上古における日本の正史にほかならない。」
と主張しております。これら「古史古伝」の内容はどれもこれも現在の歴史観を大きく覆すものばかりで、現代アカデミズムの立場からは後世に作為的に作られた偽書、とされているものばかりなのです。今、そのすべてを取り上げるわけにはいきませんが、代表的なものをYES/NOで視たところ、信憑性が高かったのは「竹内文書」と「宮下文書(富士古文献)」、NOと出たのは「上記(うえつふみ)」「秀真伝(ほつまつたえ)」「九鬼(くかみ)文書」「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」「カタカムナのウタヒ」「三笠紀(ミカサフミ)」という結果が出ました。ただ、信憑性が高いと出た「竹内文書」「宮下文書」にしても、すべてが信用できるわけではなく、「竹内文書」は神代・上古まで、「宮下文書」は逆に神倭朝以降の記述のみ参考にできると出た次第です。
序論でも述べたように、これらの研究者に共通するのはイデオロギー絶対史観であり、どうも考古学的整合性や地質学的合理性などはまったく問題にされていないといってもよいのではないかと思われます。
例えば、超古代人類の誕生に関して「竹内文書」の研究者たちは、日本がその地であったと主張するのですが、前提(1)でみたようにその時代が約3000万年前とすると、地質学的には完全な矛盾に逢着してしまうのです。というのも、日本列島の元となる陸地は5億年~2000万年前にかけて中国大陸東端で、プレートの付加体が拡張して地殻に成長した部分であることが地質学上明らかになっているのであり、日本海の元となる縁海の誕生すら漸く2000万年程前とされているからです。つまり、3000万年前には、日本列島はそのベースすらできていなかったわけです。
「いや、それはお前たちのいう誕生年代が間違っているからで、もっと後だったら日本列島は形成されていたのではないか」とおっしゃる向きがあるかもしれませんが、地質学的事実からするとそうはいえないと思われます。その後日本海は一気に広がり、日本列島は多くの島々の集まりだった時代を経て、深い海ができた頃には一旦海底に沈み、再び浮き上がってくるのは約500万年前とされているからです。そして超古代人類の誕生がそれ以降だとすると、今度はクレモとトンプソンが「人類の隠された起源」で提示した事実と矛盾してしまうのです。
また、「竹内文書」にはイザナギの時代に十和田湖ができたと書いてあるようですが、地質学者によるとその時代は瞰湖台・中湖の形成が9500年前~6300年前、毛馬内火砕流によるものが1000年前とされているのです。カルデラ自体の形成は4万3000年前~1万3000年前とされていますので、百歩譲ってこれをもって時代考証していくならイザナギの時代はその頃となりますが、後述するようにYES/NOで視た年代とはだいぶ異なりますし、新旧3万年近い幅もちょっと長すぎるのではないでしょうか。
こうしてみてくると、「竹内文書」自体の信ぴょう性がかなり揺らいでくるといってもよいと思われますが、ここで「記紀」「竹内文書」「宮下文書」の成立年代を視た結果を申し上げますと、最も古いのが「記紀」、次いで「竹内文書」、最も新しいのが「宮下文書」という結果だったのです。古いものは真似されやすく、新しいものは古いものを盗用し改ざんもされやすいというのが常識的判断であることはいうまでもありませんが、それをおいてもこれら三文献の違いと共通性を見ていくと、それぞれの成立年代がよく分かると思われますのでご紹介しましょう。
まずアマテラス・スサノヲの高天原における物語やそのあとのオシホミミ・ニニギ・ホホデミ・ウガヤフキアエズの順序については、3者ともほぼ同様の記述となっています。ところが、「記紀」にはないウガヤフキアエズ朝というのが後2者に登場するところが一番大きな違いであると申し上げられます。しかも、この王朝の期間は「竹内文書」では73代、「宮下文書」では51代と微妙に異なり、天皇の名前なども異る結果となっているのです。ですから、「記紀」ではウガヤフキアエズから神武の登場までに年代的ブランクがかなりあり、「竹内文書」「宮下文書」では73代目・51代目が神武として神倭朝を創設していく形になっているのです。
では、ウガヤフキアエズ朝というのは実在したのか否かをYES/NOで視てみますと、これが予想通りNO。予想通りというのは、この王朝の記述に明らかな改ざんがみられるからなのです。
まず第一に、「竹内文書」にみられるウガヤフキアエズ朝時代の世界巡幸先の地名をざっと挙げますと、天竺ヒミラヤ・ヨイロハ国・イジフト国・アラビア・支那国バイカル・天竺カルカリ・アフリ国・ロシ阿国・アジアトル国・オイストラリ国・イタリ国・アジチ国・アフリスイダンクカetc.etc.近代以降の地名と似たような呼称が出てくることです。何万年も前の記述にしては、やや冗長すぎる程の改ざんということがこれで分かるはずです。
次に、「竹内文書」で同時代の遷都先として九州地方の地名が頻繁に出てくることも、改ざんをにおわせます。すなわち、ウガヤフキアエズ朝は次の神倭朝に続く時代なのですから、天皇の寿命をどう捉えるかによりその期間が変わってくるとしても、この文脈からすると今から数万年前と考えられます。ところが、この間鹿児島湾と桜島を囲む巨大カルデラである姶良火山の大噴火があったのであり、この噴火はその火山灰層の有無で旧石器時代を前後に分ける格好の指標ともなっているのです。22000~3000年前とも、28000~9000年前とも言われるこの大噴火によって、九州地方の旧石器人類はすべて絶滅したといわれているくらいなのですから、そこへの遷都はあまりにも無謀ではないでしょうか。
さらに、「竹内文書」ではモーゼ・キリストをはじめとする世界の聖人がこの王朝末期に日本へやって来たと記されておりますが、YES/NOで視た結果はモーゼ・キリストはともかく(これについては後述)、釈迦や孔子・孟子・老子・マホメットなどはNOと出たのでした。ここにもしつこいほどの冗長さが見て取れますが、結局「竹内文書」は、本朝の優越性を誇大に記述したり、世界史的な事件の中心を日本に持ってきたりすることで、人々の関心を煽るような部分が多いと考えるべきでしょう。
一方「宮下文書」においては、天神代の開祖に古代の中国王神農氏が祀り上げられる点が「記紀」や「竹内文書」との大きな相違点であり、地神代はこれらとほぼ同様に経過するものの、ウガヤフキアエズ朝に関しての記述はまったく異なってくる形になります。すなわち、ホホデミの代まで日本の都は富士北麓の高天原にあったが、九州には古来西方からの外寇が絶えず、特にホホデミ末期に襲来した大軍は治世そのものを揺るがせるほどの規模だった。そこで、ホホデミは皇太子に譲位し、九州へ遷都させて国土を防衛させることになった。皇太子は2年間の激闘の末外敵を撃退し、ここにウガヤフキアエズ朝を開設しその後51代続く端緒を開いたとされているのです。
「宮下文書」では、そもそもの初めに神農氏が来るように、古代中国の歴史と我国の歴史が相関しながら記述され、従って年代に関しても我国の創設は伝説の神農氏の時代=4700年前、ウガヤフキアエズ朝の開設が伝説の舜帝の時代=4200年前となるようです。後述するように「宮下文書」は九州王権の権威づけをする意図が濃厚であり、地神代に「記紀」の高天原神話を挿入しながら、この後神武による神倭朝の開設=2600年前へと続く形になります。こうしてみてくると、YES/NOで視た結果を持ち出さなくても、こちらもまた「竹内文書」同様の改ざんが行われていることは自明であると考えてよいでしょう。
では、私たちは何をどう読んでいけばよいのか、上述の結果を踏まえて結論を申し上げるなら、上古以前の記述については「竹内文書」、神倭朝以降については「宮下文書」をそれぞれ参考にしながら、基本的には「記紀」の記述に拠るというスタンスが導かれるのではないでしょうか。br />
【参考書籍】
・Wikipedia
・松岡正剛の千夜千冊
・G.ハンコック「神々の指紋」上下(翔泳社)
・浅川嘉富「謎の先史文明」?人類は恐竜と共存した? 第一回-五回
(東京理科大学同窓会機関紙「理窓」 平成17年1・4・7・10月号、平成18年1・4月号)
・クレモ・トンプソン「人類の隠された起源」(翔泳社)
・本城達也「超常現象の謎解き」
・星野通平「膨らむ地球」(「膨らむ地球」刊行会)
・星野通平教授の研究室
・リレスフォード「遺伝子で探る人類史」(講談社ブルーバックス)
・浅見宗平「ふしぎな記録」〈第3・4巻〉星雲社
・渡辺長義「探求 幻の富士古文献?遙かなる高天原を求めて」今日の話題社
・竹田日恵「『竹内文書』世界史の超革命」徳間書店
・正氣久嗣「正しい霊とよこしまな霊」徳間書店