超古代史からみた改憲論 2013年5月

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 皆さんお元気ですか、朝比奈です。

 GW前の年中行事とも化した憲法論議が、今年は新たな局面を迎えているようです。背景に中国・韓国による尖閣と竹島の問題があることはご承知の通りですが、他にも慰安婦や靖国の件など安倍政権とマスコミを含む改憲勢力の鼻息はかつてなく荒くなっているようです。極端な論者は「現行憲法廃棄」を唱えていますが、まともな法律論からすれば、それがいかに現状を無視したものかがお分かりいただけるはずです(コラム「マッカーサーの変身」参照)。言い出せばきりがないのですが、「GHQが発禁処分にした雑誌が復刊できたのに、当事者は4.28を祝わない」(産経4/27)など戦後の冷戦構造を無視した記事がまかり通っている現状は、やや病的といってもよいのではないでしょうか。

 手元にある改憲案(同4/26)から列挙してみますと、「日本国は・・天皇を国のもといとする」「和をもって貴しとする精神」などおかしいと思われる点がすぐ出てきます。これと並行してある宗教団体の雑誌などは、「神武は実在した、天智は敗戦に学んだ、明治は国家の精神的支柱」などのキャッチを大見出しで掲げているのです(同5/2)。実はこれに先立ち、私どもは超古代史を解明するため、この数ヶ月各種の文献にあたりYES/NOを繰り返してまいりました。そこで明らかになったのは、「神武は実在しなかった」「天武は、白村江の戦い後日本を占領した唐・新羅連合軍の勢力下に近畿王権を簒奪した」「聖徳太子は実在しなかった」などの結果だったのです。古代の大陸・半島勢力による王朝の入れ替わりや南北朝問題、さらに明治維新時の暗殺・擁立等をみれば、万世一系の皇国史観など詭弁でしかありません。

 ではこの国のあるべき形はどのようなものなのかといえば、やはり超古代において我国がそうであったように、文化的・学問的なレベルで世界をリードするシンボリックな知的集約国家ではないかと考えられます。そろそろ吉田茂が唱えた金儲け主義の呪縛から解放され、至高の理念に基づく国づくり・人づくりこそが求められているのではないでしょうか(詳しくは、朝比奈著「超古代史の封印を解く」を。希望者に無料配布中)。

 では、来月またお目にかかりましょう。