皆さんお元気ですか、朝比奈です。
10月末のNHKをはじめとするマスコミは、南シナ海における米イージス艦の航行を大々的に取り上げ、「米中開戦の恐れ、日本の自衛隊も派遣か」などと報道していましたが、よくみるとこの中古イージス艦はミサイルなど搭載しておらず、はしゃいでいるのは安倍・管両氏をはじめとする右翼と防衛特需を期待する経済界の首脳ばかりでした。しかも、韓台など近隣諸国の反応は鈍く、独仏など欧州諸国も特に目立った反応を見せていないようです。どうやら日本を巻き込む形での南シナ海々戦の可能性は、富士の噴火や福島第一の臨界などよりはるかに確率が低いようです。
こうした劣化は軍事外交分野に限らず、傾斜マンションの手抜き杭打ちや鬼怒川決壊報道にもよくあらわれており、下請け会社の現場監督や地元市長の避難指示の遅れを問う姿勢ばかりが目立ち、契約責任者たる三井住友建設や一級河川の管理者たる国交省を追求する報道は全く見当たりません。では、マスコミをただせばよくなるのかというと問題はさほど簡単ではなく、私達の精神まで規定してしまうある種の体質が改まらなければ本質的には何も変わらないと思われます。
振り返れば9.11とその後のアフガン侵攻、大量破壊兵器とイラク戦争、アラブの春と中東の混乱などどれも遠い国の話と日本人は思ってきたわけですが、ここにきてようやく身近な問題に思えてきたのかもしれません。そしてこれらの出来ごとに潜む公然たる疑惑は我が国にもあてはまり、それは古代史の改竄と孝明天皇の暗殺に始まる薩長皇国史観であり、敗戦を終戦と言い換えて対米隷属を隠ぺいする戦後政治なのですが、ついこないだまでの私達は金儲けにばかり目が行ってより大事なことを置き去りにしてきたのかもしれません。これは左翼=東京新聞の論調などにも現れており、時代遅れの日米優勢とアジア軽視の構図が背後にあるようです。また現代医学の擁護と代替医療の排除、野放しの健康食品広告、破綻したCO2温暖化論に基づく代替エネ礼讃、嘘だらけの食料自給率や放射能の安全基準などキリがありません。かつてヘーゲルは「理性的なものが現実的であり、現実的なものは理性的である」と述べましたが、凋落する日本を理性的に受け入れる姿勢こそ今最も必要なことではないでしょうか。
では、来月またお目にかかりましょう。