皆さんお元気ですか、朝比奈です。
8月は我が国にとって特別な月で、それは終戦と幾多の戦死者の霊にお盆の光景が重なるためですが、85年の日航ジャンボ機の御巣鷹山への墜落事故も8月の出来事だったのです。当時私は地方都市で開業獣医をしており、お盆前のこの時期は超忙しくてさほど深く考えることもなかったのですが、最近調べた結果この事故がとてつもなく疑惑に満ちたものであることが分かったのでした。
この事件は、85年8月12日羽田発大坂行きJAL123便が乗客509人・乗員15人の計524人を乗せて18時12分に羽田を離陸したものの、同56分30秒、群馬県側の山岳地帯である御巣鷹山に墜落--乗客のうち重傷4名は8月13日に救出されたものの、505人の乗客と15人の乗員は還らぬ人となったものです。問題は事故原因ですが、当時の運輸省事故調は「機体後部の圧力隔壁の破壊による機内空気の急激な噴流が垂直尾翼を噴き飛ばし、操縦不能となったもの」と結論を出したのです。しかしこれにはさまざまな疑問があり、そのひとつが機内の急減圧の問題です。高度7200メートルで「機内空気の急激な噴流」による急減圧が起これば、機内の人や物は急激に外へ吸いだされるはずですが、生存者の証言はそれとは矛盾するものでした。そのほかにも多くの疑問点があるにもかかわらず、その後の再調査は一切なされぬままこの事故は闇に葬られたといってよいでしょう。
実は、この件に関しては、垂直尾翼に何らかの飛行物体が衝突したという見解、また横田基地への緊急着陸がある筋から拒否されたという推測、最後に中性子核ミサイル2発が撃ち込まれたという情報など、数々の疑問が残されているのです。また、墜落当時5・60人いたとされる生存者(これも目撃情報あり)が、何故13時間も放置された揚句4人しか救助されなかったのかという問題もあるのです。今となっては何とも言えませんが、当時の前橋地検の検事の「これ以上追及すると、日米戦になる」という発言、また民間側からこの事件を追求して「米軍の核ミサイルによる撃墜」とした佐宗邦皇氏が、その講演会直後に急死(お茶を一口飲んだ直後に倒れる)している点など、数々の謎が残っていることだけお話ししておきます。
では、来月またお目にかかりましょう。