政治と超次元の流れについて 2007年8月

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 皆さんお元気ですか、朝比奈です。

 参院選が終わり、少し静かになった朝の新聞やテレビは、どれもみな一様に「勝った」・「負けた」と いう談話とお説教調の「論評」が目立ちました。それはあたかも、「個人の力量で流れが変えられる」という、19世紀以前の価値観に立脚しているかのようで、違和感を禁じえないものでした。

 私自身は政治にかかわりを持っていませんので、党派的な利害はないのですが、政治権力というものを考える場合すぐ脳裏に浮かぶのは、「経済学批判序説」(K、マルクス)と「現代議会主義の精神史的地位」(K、シュミット)の二冊です。マルクスは経済的諸関係が基盤であって、政治はそれによって規定される上部構造にしか過ぎないと主張し、シュミットは議会制民主主義に潜む本質的な欺瞞を鋭く指摘したのでした。党派的立場としては両極端に位置する二人ですが、共通するのは「政治権力とは何か」という問題意識だったと思います。

 現代の私たちにとって、政治とは《妥協》であり、無理やり《理念》を持ち込もうとするとゆがんでいくことは自明なことです。それは人類が20世紀に学び取った有効な教訓ともいえるでしょうが、《何が真実か》という実存的な疑問に答えられない点が、この考えの根本的欠陥であることも確かです。

 だとしたら、展望はどこかにあるのか--ここで《超次元エネルギー》の存在理由が明確になってきます。易や占い、さらに確率的な予報とも異なり、この力は時空を超えて私たちに唯一の答えを垣間見せてくれるからです。

 「自由とは必然性の認識である」という有名な言葉がありますが、私には《ひょっとするとこれも超能力に由来しているのか》と受け取れるのです。《至高の流れ》を知ることで、目先の利害や瑣末な出来事に翻弄されない、とてつもない広大な視野が開かれていくからです。そのとき人はみな従来にない課題に直面することとなりますが、その解決の過程からこそ新たな世界が生まれてくるのではないでしょうか。

 ちなみに、安倍内閣の短命さについては、去年のインストールの際、既に予測されていました。

 では、来月またお目にかかりましょう。