日本中世・近世・近代史への射程(2)
「奴隷制・農奴制から地主制へ」
昨日は、
「社会・経済史特にマルクス主義発展段階論においては、古代=奴隷制、中世=封建的農奴制、近代=資本制的土地所有下の賃労働というふうに規定するのがモデルなのですが、日本においては中世末=戦国時代まで奴隷制が続き、秀吉の太閤検地と石高制導入により初めて封建的農奴制が成立したという点が1952年に安良城盛昭氏が巻き起こした安良城旋風。この説を補強するのが磯貝富士夫氏の日本中世奴隷制論なのですが、この背景には中世の寒冷化による農業生産力の低下が挙げられ、戦国末期にようやく気温が上昇し始め、これが信長・秀吉・家康政権の成立につながった」
と申しあげました。
そして、
「この三代のわずか50年間の間に歴史や経済が激動するのですが、ここにさらなる要素としてポルトガル人の来航があった。それがもたらしたものは鉄砲の伝来による、戦国大名の戦術の根本的変化だけではなく、日本人奴隷の海外への売り渡しが大量に発生した。世界史的に見れば大航海時代というのは、ポルトガルやスペインによる略奪と奴隷貿易の時代ということなのですが、これにはローマカトリックの尖兵としてのイエズス会が果した役目が大きかった。信長・秀吉・家康政権は統一国家としての体面上、やがて伴天連禁止令(秀吉1587年)を発布していくわけで、これも戦国まで続いた奴隷制を解体する要因として重要だということを磯貝氏が実証している」
と書きました。
ここで検討しなければならない事は、
西欧封建制と日本の幕藩体制下の封建制が同一のものだったのか、
あるいは異質のものだったのかということになるわけです。
まず、西欧封建制に関しては以下のように定義されます。
奴隷も農奴も土地を占有し、小経営を編成する点は共通しているが、土地占有態様が異なっており、奴隷の土地占有は事実上の関係にすぎず、土地から分離した動産奴隷化が常に可能な形態であるが、農奴の土地占有は、土地所有権が土地緊縛による土地所有義務と結合して成立している形態とされている。
中村哲『奴隷制・農奴制の理論』(中村1977)は、このようなマルクスとエンゲルスの土地占有奴隷制と農奴制の歴史認識を再構成した著作である。この著作では、土地占有奴隷と農奴との相違について、前者をたんなる土地占有者、後者を事実上または法律上の土地所有者と規定し、前者の土地所有関係を奴隷主的土地所有内部の私的関係であるのに対し、後者の土地所有関係を、農奴の土地所有主体としての社会的承認にもとづいて、「司法上および行政上の諸職能が……土地所有の属性」となっており(『資本論』第3巻、658)、領主的土地所有に裁判、特に民事裁判や行政の機能という公共的、国家的性格が内属した関係と規定している(中村1977、179、188―190、213―217、『資本論』第1巻、576)。
要するに西欧封建制における農奴とは土地所有の主体だったのであり、
法的にもそれが認められていた点が奴隷とは異なる、
最大の相違点であったと考えられます。
これに対して我が国の幕藩体制下の農奴制はどうであったかというと、
安良城盛昭氏は以下のように規定している。
天下統一を達成し、幕藩体制社会を創始した豊臣秀吉は、日本全土にわたって太閤検地を施行し、この太閤検地を通じて、戦国末期に存在していた武士層の個々の土地所有を全一的なものとしての封建領主的土地所有に集約・一体化することによってこれを掌握し、ここに武士による農民に対する厳しい封建支配の経済的基礎が確定され、さらに、秀吉が全一的に掌握しているこのを封建領主的土地所有を、一時的・部分的に大名に知行として分与し、さらに大名はその給人にこれまた一時的・部分的に知行として分与したものが、大名・給人の所領となっているのである。この意味で、幕藩体制社会における封建的領主的土地所有は、単一のものとして存在し、秀吉・将軍個人の手中に集中・掌握されていたのである。
――(中略)――
幕藩体制社会における土地所有のきわめて特殊なあり方――幕藩体制社会に先行する荘園体制社会においても、西ヨーロッパ中世社会においてもみられない特殊性――がうかがわれる。
つまりここでは所有権などという法的概念などは、
成立し得なかったということです。
では、明治政府による地租改正によって、
この幕藩体制下の農奴制は近代的土地所有に変わったのか、
というと決してそんなことはなかったと安良城盛昭氏は指摘しています。
明治期以降の日本農業における基軸的な土地所有形態として法的確認を受けた半封建的な地主的土地所有は、第2次大戦後の農地改革によって最終的に解体せしめられたが、その生成・展開・解体の歴史において、明治前期は画期的な時期に属している。
この時期は、明治政府による上からの資本主義育成のための、本源的蓄積政策の本格化に伴う激しい農民収奪が進行する時期であり、これに照応して、地主的土地所有の急激な拡大が見られ、1892(明治25)年には、全国耕地面積の 40.67%は小作地に転換するにいたっている。
――(中略)――
歴史学の分野においては、自由民権運動を中心とする政治史の研究盛行にもかかわらず、成立期地主制の研究は、きわめて立ち遅れているといっても過言ではない。その意味で、明治前期地主制の研究は、歴史学に課せられた今後の課題の一つといえよう。
本書のあとがきの中で安良城氏は、岩波書店から「日本歴史・近代3」の「地主制の展開」の執筆依頼を受けたのが 1961年で、その当時(1)幕末期の地主小作関係の地域的研究はたくさんあった。(2)また明治10年代の松方デフレ期の農民層分解と地主制成立過程についての海外の研究や、(3)山田盛太郎「農地改革の歴史的意義」という既存の三つの研究があり、これらをうまくつなげればさほど困難な仕事とは思われなかった。しかし氏はこうした安易な道を選ばず、当時資料がなかったため知ることができないとされていた明治20~30年代の日本地主制研究に挑戦してみようと思ったと語っています。
それで 5歳の長男と 3歳の二男を同居の両親に預けて、東京大久保の統計局図書館に夏休みの間、筆記がかりの奥さんともに毎日通ったということです。クーラーもコピー機もない当時は大変だったようですが、何とか東京・山梨など4冊分の「貴族院多額納税者議員互選人名簿」を刊行出来たとの事。「全部終るにはあと10年ぐらいかかりそうだが、戦前の日本資本主義下の支配階級の実態を具体的に跡づける資料として大きく貢献できるものと考えている」と語っておられます。