日本中世史の問題点

社会・経済史特にマルクス主義発展段階論においては、古代=奴隷制、中世=封建的農奴制、近代=資本制的土地所有下の賃労働というふうに規定するのがモデルなのだが、日本においては中世末=戦国時代まで奴隷制が続き、秀吉の太閤検地と石高制導入により初めて封建的農奴制が成立した、という点が1952年に安良城盛昭氏が巻き起こした安良城旋風。この説を補強するのが磯貝富士夫氏の日本中世奴隷制論なのですが、この背景には中世の寒冷化による農業生産力の低下が挙げられ、戦国末期にようやく気温が上昇し始め、これが信長・秀吉・家康政権の成立につながったとされるわけです。

ところが、最近の中世史研究家のほとんどが、「先学の研究成果を意識的に無視しながら、歴史を細分化しながら真実から遠ざかる傾向が見て取れる」と、東之宮古墳発掘写真集氏は述べている。これが氏の独断でないことは、以下の記述から明らか。

例えば岩波書店の日本の歴史講座シリーズは戦後、三回発行されていますが、私の感覚からは歴史認識は初回の方がすぐれ、日本通史そして最新の日本の歴史シリーズ、どういう訳か歴史への認識が低下というか、細分化されながら意識的?に本質と離れていく研究成果が提示されてるように私には読めるのです。
――(中略)――
こうした体制へ迎合する学問研究報告はこの人に限るものではなく、2014.04.17発行の岩波講座日本歴史第七巻中世2においても見出すことが出来ます。
三枝暁子氏著 中世の身分と社会集団という文章は、学術的対応として末尾に、この人が参考にした先学の研究成果である報告書・著作者・発行年度等の備考欄が記されていますが、なぜか安楽城盛昭氏のことが抜け落ちています。
池上裕子氏の著述 中世から近世への移行期研究も読ませていただきましたが、この人は戦国期の奴隷制度、安楽城氏の研究成果を信じたくないということが研究動機だと末尾にかかれており、こうした不純な動機の著述書も大手を振っています。

氏が言うように、「戦前の教科書歴史同様、現在の歴史教科書も、戦国の英雄が跋扈して」いるというのは、わが国の学校教育ではNHK大河ドラマのような皇国史観しか教えられず、ほとんどの国民は洗脳されているということです。これがコロナの三年間=第三次世界大戦にこの国がボロ負けした原因であり、ここから脱却するには「改竄された歴史」ではなく真実へのアプローチが重要であり、近代「天皇制」の分析と「皇国史観」の排除が課題になるわけです。実際、社会経済史的研究は何を目的としてなされたのかといえば、それは十五年戦争を推進し国民に塗炭の苦しみをなめさせた近代「天皇制」の物質的基礎を解明するためであった、と安良城氏は述懐している。この天皇制絶対主義的権力を理解するにはどうしたらよいのかといえば、以下のように説明されております。

《古代天皇制》の成立・存続を抜きにして、あらゆる時代の天皇・《天皇制》を論ずることができないのは当然であって、ここに近代・現代の天皇にもつきまとっているその前近代的性格の淵源を求めることができるのであるが、近代「天皇制」についての正確な認識なしには、前近代の《天皇制》や天皇存在、そしてまた現代の「象徴天皇制」を的確にとらえることができないということも十分に理解される必要がある。
――(中略)――
「天皇制」という言葉・概念は、近代「天皇制」を把握するものとしてもともと成立してきているのだから、近代「天皇制」の正確な認識こそが必須となるのである。人間についての科学的認識の確立が猿についての科学的認識を可能とさせたのとまったく同様に、近代「天皇制」の正確な認識こそが《古代天皇制》や《中世天皇制》の的確な認識を助けるのである。こういう方法的見地に立たない、天皇がどの時代にも存在していたというわかりきった事実から天皇研究を再構築すべきだ、などという網野善彦流の無方法的な中世天皇論が、中世天皇についての虚像の強調に陥ってしまうのは必然的である。
天皇は、常に支配階級の一員であり、秩序の象徴、保守の象徴、としての天皇として存在しており、だからこそ、支配階級にとって常に様々な利用価値があるのだが、日本歴史上のどの時代をとってみても、天皇が国民や庶民であったことはいまだかつて一度もなく、国民や庶民を代表する言動も一切なかった。また、国民や庶民が天皇を利用するなどということは歴史上一切なかった。
だから、権力的天皇と儀礼的天皇のいずれが、天皇の本質であるか、といった議論(津田左右吉・石井良助に始まり最近の網野善彦氏)は、問題の立て方がそもそも間違っている。
――(中略)――
近代「天皇制」下の天皇は次の三つの基本的側面を持っていた。
(1) 旧憲法において天皇は、皇族・華族・士族・平民の頂点に立ち、あらゆる権力を一身に集中している権力者であって、支配階級編成の要となっていた。
(2) 天皇は、「大日本帝国憲法」「教育勅語」「軍人勅諭」が象徴的に示すように、一切の批判を許さない「神聖不可侵」の存在であると同時に、階級支配にとっての究極的権威であった。
(3) 戦前の天皇は、日本最大の地主、日本最大の株主(資本家)であって、剰余労働の最大取得者であった。
――(中略)――
「天皇制」概念は、何よりもまず、戦前日本資本主義の下における日本近代に独自な権力機構概念として定立されたものであった。だからそれは、6世紀から 20世紀まで天皇が存続しているから、日本はずっと天皇制の下にあったといった俗論とは、全く違った次元において成立したものである。
このように社会科学的に成立した「天皇制」概念に基本的に対立した歴史把握は、幕末国学興隆のうちに形成され、尊王攘夷運動・尊王倒幕運動の中で凝固して、明治維新以後の支配イデオロギーの基礎となった「皇国」概念であった。この「皇国」概念は、万国対峙という国際情勢に対応し、儒学的思惟(中国を中心とする中華思想の下では、夷狄に位置付けられている日本)から離脱するという幕末期の国民的課題に対する国学的対応(幕末日本的ナショナリズム)の所産にほかならなかった。
――(中略)――
この「皇国」概念は、日本中世に成立した「神国」思想とむすびつくことによって、「天皇制ファシズム」が台頭する 1930年代から敗戦までのわずか十数年間とはいえ、神がかり的でファナティカルな「皇国史観」として跳梁するにいたったことは、史学史上において周知の事実に属している。

先に古代史論においても指摘したことですが、現在の或いは近代以降の日本国家を相対化するには、「天皇制の相対化」が本質的な課題となるわけで、これは天皇制国家のイデオロギー的擬制を国家論のレベルで打破することだと考えられます。そしてこの課題は、日本的奴隷制度の特質を解明し、それを基礎として幕藩体制下の封建的農奴制に迫り、さらに明治以降の半封建的な地主制の分析に繋げてゆくことで達成されるものではないでしょうか。

【参考文献】

・安良城盛昭「天皇・天皇制・百姓・沖縄」(吉川弘文館)
・安良城盛昭「「天皇制と地主制〈上下〉」(塙書房)
・磯貝 富士男「「日本中世奴隷制論」 (校倉書房)
・ルシオ・デ・ソウザ、 岡 美穂子 「大航海時代の日本人奴隷」(中央公論新社)

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