嘘八百が罷り通る国

「騙される者から先に淘汰され」

昨日「大衆的なレベルでは新型コロナの実態と、
遺伝子ワクチンの有害事象をきちんと押さえていないため、
一部の被害者に補償金を支払いながら、
延々と様々なワクチンを開発・接種し続けることを許してしまう」
と申しあげました。
それで 5月8日からコロナが2類から5類に引き下げられるわけですが、
それでも厚生労働省はワクチン接種を続けると宣言。

これまで「1,2回目を打たないと打てません」という設定だったのが、1,2回目を打たないでも打てるように変更になった(何の説明もなく)。
諸外国がコロナワクチンの接種中止に舵を切るなかで、日本では来年3月末まで接種が続く。どうせ3月が近づけば、なんだかんだと理由を付けて、4月以降もずっと接種を続ける魂胆でしょ。
――(中略)――
「ごく簡単に言うと、5類に格下げになるのにワクチンの公費負担継続はおかしい、ということです。
その理由として、もともとコロナが「国民の生命及び健康に重大な影響を与える恐れ」がある感染症だという建前(実際にはそんなことはないと思いますが)なので、特措法に基づく私権制限や、薬機法の特例承認、予防接種法の特例臨時接種が正当化されてきました。しかし今や、その前提が崩れたんです。それでも、特例承認が取り消されず、臨時接種が継続されている。そこがおかしい、と言っているだけです。それほど難しい話ではありません。
でもこれを指摘している法律家は私ぐらいで、他には誰もいません(笑)」
法律を運用する人が、やりたい放題、好きにやっているということ?
「その通りです。しかしこれは危険です。法の解釈や適用が専門家の思うがままとなれば、法は形骸化します。テクノクラートによる法治主義、法の支配のハッキングと言っても過言ではない事態です。
多くの国民は法律の知識がありません。また、国民は「法を運用する人は、そんなひどいことはしないだろう」と(理由もなく)信じています。つまり、専門性というヴェールと性善説によって盲目になった国民には、問題の本質が見えません。ナチスがワイマール憲法という当時最も民主的な憲法のもと独裁政治を進めたように、今の薬事承認に関与している人たちは、責任を誰からも追及されることなく、法に則って堂々と薬害を拡大しています」

こんなむちゃくちゃな状況ですので、
ワクチンの後遺症なのに様々な虚偽の病名をでっちあげて、
医療機関は笑いがとまらない。
何せ米国では「FDAのワクチンの認可については、
感染や伝播の予防効果を示す必要がない」と言っているわけで、
今まで必死に「ワクチン接種の予防効果は副作用リスクを上回る」。
と言ってワクチン接種に励み加担してきた日本の医師たちなどは、
どう落とし前をつけるのかと心配してしまうほどです。
こんな状態ですからむちゃくちゃな症例が出ても、
もはやだれも驚かないという異常事態が起こっているわけです。

まぁしかし、ここまで列島の愚民が転落してしまったしまった原因は、
ひとえに偽の天皇制にあったのではないかと私は思います。
古代史論でも取り上げたことですが、
奈良朝以降 =日本書紀の歴史記述は、
それ以前の歴史的事実をもみ消し皇国史観に一本化してしまったため、
列島の愚民たちは有史以前から大和に世界最古の朝廷があった、
などと妄想のままその後1300年を過ごしてきたわけです。
「其の人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対こたえず。故に中国これを疑う。」、
というのが当時の中国側の認識だったのです。
以下の記述に「旧唐書と新唐書の決定的な違い」がありますので、
引用してみたいと思います。

中国正史『唐書』は、二つあります。西暦945年に成立したものと、西暦1060年成立したものです。両書を区別するため、先に出来た方を『旧』、後に出来た方を『新』と呼んでいます。両書とも奉勅撰のれっきとした「正史」です。
既に正史『(旧)唐書』が成立していたのに、どうして新たな「正史」を必要としたのか?
『(旧)唐書』は、唐末の戦乱で史料に欠損があり唐末期の記事が不十分であった。宋の時代に入り、新たな史料が多数発見され、より充実した「歴史書」の作成が求められた、と説明している。
日本では『唐書』と言えば『新唐書』を指し、『旧唐書』は無視されてきた。
豊富な史料を基に、宋朝と言う安定した政権のもと、当時の第一級の学者を集めて編纂したのだから『旧唐書』よりはるかに出来の良い「史書」が出来たはずである。
しかし『新唐書』の評判は極めて悪い。1064年に編纂を開始した『資治通鑑』の司馬光は、唐代の記事を『新唐書』に依らず『旧唐書』に依拠している。
考証学が盛んになった清の時代の学者たちも『旧唐書』の方が『新唐書』より信頼性に勝ると言う。これは現代の中国史学の定説でもある。
しかし、日本では『唐書』と言えば『新唐書』を指してきた。
両書の最も大きな違いは、日本記事にあります。以前に書いたように『旧唐書』は、七世紀半ばまで日本を代表していたのは倭国(筑紫王朝)と書き、八世紀初頭から日本国(大和王朝)と書く。つまり日本では七世紀の後半に代表王朝の交代があった、と。
663年の「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍と戦ったのは倭国(筑紫王朝)であったと明記する。
983年成立した『太平御覧』は『旧唐書』に基づき倭国と日本国の王朝交代説を採っている。つまり宋の代に入っても七世紀後半に日本では王朝の交代があった、と認識されていたのである。(宋の成立は960年)

いっぽう『新唐書』は、日本には開闢以来王朝の交代はなく、天御中主(あめのみなかぬし)の神を祖先とする天皇家が途絶えることなく今に続いているとする「万世一系」の天皇の歴史として書かれている。
つまり、宋朝では『太平御覧』が成立した983年から『新唐書』が成立した1060年の間に、日本に対する認識を変えたのである。驚くべきことである、中国は歴史の国である、何よりも歴史を重んずる。先の歴史書の記述を変えるなど絶対に許されることではない。しかし『新唐書』の編者たちは、先の「正史」の記載を捨て、やすやすと新しい認識を書いている。ただ事ではない、いったいどのような事件が在ったのだろう。

コロナ、ワクチン、ウクライナその他の問題も、
すべて今は第3次世界大戦中であるという認識がないと、
状況を見誤ってしまうといえます。
かつてワクチン接種を推進した立民の代議士の変わり果てた姿がその証明
といえるのではないでしょうか。
この件当Scienceのお客たちにもあてはまりそうで、
去年から今年にかけ売掛代金を踏み倒した 3人は、
みな以上のような状況認識を完全に誤っていたと申し上げられます。
また現在S蛋白や免疫抑制性アルツハイマーで、
またナノチップやハイドロジェルを埋め込まれて、
中枢神経系が壊れつつある人々数人も、
完全にこのような状況をロストしているといえそうです。

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