属国座の起源を見つけた
「戦後日本には『ウラの掟』があり、それは米軍と日本官僚間で直接結ばれた占領期以来の軍事上の密約」
CDクリエーションのM.Suzukiさんの書き込みで、
東海アマの記事を見つけたのですが、
これが昨日お話しした「奇天烈劇場属国座」の理論的根拠となる証拠では。
これを提示したのは矢部宏治氏という方で、
「じつは『日本』は「完全な属国」だった…
日本が米国と交わした「ヤバすぎる3つの密約」という記事があり、
「『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)、
が元になっている。
日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。
そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。
『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。私たちの未来を脅かす「9つの掟」の正体、
最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」とは?
なぜ日本は米国の意向を「拒否」することができないのか?
3分で日本の深層がわかる四コマまんがつき!みなさんは、世田谷区や中野区、杉並区の上空が
米軍に支配されていることをご存じですか?
あるいは、米軍に与えられた治外法権が
日本の国土全体に及んでいることを知っていますか?
「なにをバカなことを…」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、これらは公文書によって裏付けられた疑いようのない事実なのです。
じつは、私たちが暮らす「戦後日本」という国には、
国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない
「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めています。
そうした「ウラの掟」のほとんどは、
アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、
米軍と日本の官僚とのあいだで直接結ばれた、
占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。
3つの「裏マニュアル」ともいうべき
最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、
外務省の「日米地位協定の考え方」を参照しながら、
日米合同委員会の実態と対米従属の根幹に迫り、
日本における「真の権力構造」を徹底解明します。
累計17万部を突破した
『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』
『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』の
著者が「戦後史の闇」に光をあてた、渾身の集大成!◆本書のおもな内容◆
第1章 日本の空は、すべて米軍に支配されている
第2章 日本の国土は、すべて米軍の治外法権下にある
第3章 日本に国境はない
第4章 国のトップは「米軍+官僚」である
第5章 国家は密約と裏マニュアルで運営する
第6章 政府は憲法にしばられない
第7章 重要な文書は、最初すべて英語で作成する
第8章 自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う
第9章 アメリカは「国」ではなく、「国連」である
追記 なぜ「9条3項・加憲案」はダメなのか
引き続き矢部氏の記事を紹介すると以下のよう。
大きな歪みの根底
ここまでは、問題を調べ始めてから、四年ほどでわかったことでした。
つまり「戦後日本」という国が持つ大きな歪みの根底には、日米のあいだで結ばれた 「法的な関係」が存在する。しかしその姿が、日本人にはまったく見えていない。
最大の問題は、そもそも1952年に日本の占領を終わらせた「サンフランシスコ平和条約」が、じつは普通の平和条約ではなかったことだ。たしかにそれは、「政治」と「経済」においては占領状態を終わらせた「寛大な」条約だったが、逆に「軍事」に関しては、安保条約と連動するかたちで日本の占領を法的に継続し、固定するためのものだった。
その結果、「戦後日本」という国は21世紀になってもなお、
「軍事面での占領状態がつづく半分主権国家」であり続けている──。多くの著者のみなさんとの共同研究により、そのことはほぼ証明できたと思っています。これまで精神面から語られることの多かった「対米従属」の問題を、軍事面での法的な構造から、論理的に説明できるようにもなりました。
けれども最後までどうしてもわからなかったのは、
「なぜ日本だけが、そこまでひどい状態になってしまったのか」
ということでした。
「戦争で負けたから」という答えは明らかな間違いです。
世界中に戦争で負けた国はたくさんある。けれども現在の日本ほど、二一世紀の地球上で、他国と屈辱的な従属関係を結んでいる国はどこにも存在しないからです。
そのことは第三章で紹介した、イラクが敗戦後にアメリカと結んだ地位協定の条文を読めば、誰にでもすぐにわかってもらえるはずです。
その点について、ずっとモヤモヤしたものが残っていました。もうひとつウラの構造があることはたしかなのですが、それが何かが、よくわからなかったのです。
そんなある日、
「密約の歴史について書いてくれませんか
という出版社からのオファーがあったので、よろこんで引き受けることにしました。
以前からずっと、調べてみたいと思っていたことがあったからです。じつは戦後の日本とアメリカのあいだには、第五章で書いた、
「裁判権密約」
「基地権密約」
のほかに、もうひとつ重要な密約のあることが、わかっていたのです。それが、
「指揮権密約」
です。その問題について一度歴史をさかのぼって、きちんと調べてみたいと思っていたのです。
指揮権密約とは、一言でいってしまえば、
「戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」
という密約のことです。
「バカなことをいうな。そんなものが、あるはずないだろう」
とお怒りの方も、いらっしゃるかもしれません。
しかし日米両国の間に「指揮権密約」が存在するということは、すでに36年前に明らかになっているのです。その事実を裏付けるアメリカの公文書を発見したのは、現在、獨協大学名誉教授の古関彰一氏で、1981年に雑誌『朝日ジャーナル』で発表されました。
それによれば、占領終結直後の1952年7月23日と、1954年2月8日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官と、口頭でその密約を結んでいたのです。
次ページに載せたのは、その一度目の口頭密約を結んだマーク・クラーク大将が、本国の統合参謀本部へ送った機密報告書です。前置きはいっさいなしで、いきなり本題の報告に入っています。
「私は7月23日の夕方、吉田氏、岡崎氏〔外務大臣〕、マーフィー駐日大使と自宅で夕食をともにしたあと、会談をした」
まずこの報告書を読んで何より驚かされるのは、米軍の司令官が日本の首相や外務大臣を自宅に呼びつけて、そこで非常に重要な会談をしていたという点です。占領はもう終わっているのに、ですよ。
これこそまさに、独立後も軍事面での占領体制が継続していたことの証明といえるようなシーンです。しかも、そこに顔を揃えたのは、日本側が首相と外務大臣、アメリカ側が米軍司令官と駐日大使。まるで日米合同委員会の「超ハイレベル・バージョン」とでもいうべき肩書きの人たちなのです。
「私は、わが国の政府が有事〔=戦争や武力衝突〕の際の軍隊の投入にあたり、指揮権の関係について、日本政府とのあいだに明確な了解が不可欠であると考えている理由を、かなり詳しく説明した」
つまり、この会談でクラークは、
「戦争になったら日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入って戦うことを、はっきり了承してほしい」
と吉田に申し入れているのです。そのことは、次の吉田の答えを見ても明らかです。
「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。同氏は続けて、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィー〔駐日大使〕と私はその意見に同意した」
戦争になったら、誰かが最高司令官になるのは当然だから、現状ではその人物が米軍司令官であることに異論はない。そういう表現で、吉田は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認めたわけです。こうして独立から3ヵ月後の1952年7月23日、口頭での「指揮権密約」が成立することになりました。
ここで記憶にとどめておいていただきたいのは、吉田もクラークもマーフィーも、この密約は、
「日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきである」
という意見で一致していたということです。
結局その後も国民にはまったく知らされないまま、これまで60年以上経ってしまったわけですが、考えてみるとそれも当然です。
外国軍への基地の提供については、同じく国家の独立を危うくするものではありますが、まだ弁解の余地がある。基地を提供し駐留経費まで日本が支払ったとしても、それで国が守れるなら安いものじゃないか──。要するに、それはお金の問題だといって、ごまかすことができるからです。
しかし、軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」ですので、絶対に公表できない。
そもそも日本はわずか5年前(1947年)にできた憲法9条で、「戦争」も「軍隊」もはっきりと放棄していたわけですから、米軍のもとで軍事行動を行うことなど、公に約束できるはずがないのです。
ですから、1951年1月から始まった日本の独立へ向けての日米交渉のなかでも、この軍隊の指揮権の問題だけは、徹底的に闇のなかに隠されていきました。
この「戦時に米軍司令官が日本軍を指揮する権利」というのは、アメリカ側が同年2月2日、最初に出してきた旧安保条約の草案にすでに条文として書かれていたもので、その後もずっと交渉のなかで要求し続けていたものでした。 しかし、日本国民の目にみえるかたちで正式に条文化することはついにできず、結局独立後にこうして密約を結ぶことになったのです。
その後アメリカは、占領中の日本につくらせた「警察予備隊」を、この指揮権密約にもとづいて三ヵ月後、「保安隊」に格上げさせ(1952年10月15日)、さらにその2年後には2度目の口頭密約(1954年2月8日:吉田首相とジョン・ハル大将による)を結び、それにもとづいて「保安隊」を「自衛隊」に格上げさせ(同年7月1日)、日本の再軍備を着々と進めていきました。
それほど重大な指揮権密約ではありましたが、古関氏が雑誌に発表したときは、とくに反響らしい反響もなく、ただ編集部に、
「そんな誰でも知っていることを記事に書いて、どうするんだ」
などという嫌みったらしいハガキが、一枚来ただけだったそうです。その2年前(1979年)にやはり公文書が発掘された「天皇メッセージ」(昭和天皇が1947年9月、側近を通してGHQに対し、沖縄の長期占領を希望することなどを伝えた口頭でのメッセージ)のときもそうだったようですが、問題が大きければ大きいほど、スルーされる。
あまりにも大きな問題に対しては、そういうシニカルな態度で「なんでもないことだ」と受け流すしか、精神の安定を保つ方法がないということなのでしょうか。
しかしすでに述べたとおり、この密約を結んだ日米両国の要人たちは、それが日本の主権を侵害する、いかに重大な取り決めであるかをよくわかっていたわけです。
事実私も、戦後の日米関係のなかで最も闇の奥に隠された、この「指揮権密約」の歴史をたどることで、それまでわからなかった日米間の法的な関係の全体像を理解することが、ようやくできるようになったのです。さらに連載記事<なぜ日本はこれほど歪んだのか…ヤバすぎる「9つのオキテ」が招いた「日本の悲劇」>では、日本を縛る「日米の密約」の正体について、詳しく解説します。
2024.04.01 ヤバすぎる「9つのオキテ」が招いた「日本の悲劇」…なぜ日本はこれほど歪んだのか?
https://gendai.media/articles/-/126829
【外務省がつくった高級官僚向けの極秘マニュアル(「日米地位協定の考え方 増補版」1983年12月)のなかに、
○ アメリカは日本国内のどんな場所でも基地にしたいと要求することができる。
○ 日本は合理的な理由なしにその要求を拒否することはできず、現実に提供が困難な場合以外、アメリカの要求に同意しないケースは想定されていない。
という見解が、明確に書かれているからです。
つまり、日米安全保障条約を結んでいる以上、日本政府の独自の政策判断で、アメリカ側の基地提供要求に「NO」ということはできない。
そう日本の外務省がはっきりと認めているのです。】
これまで私共はなぜ日本国民がこれほど奴隷的になったのか、
という問題意識に基づいて考えてきたのですが、
憲法と条約の関係を規定する条文とか以外にこうした口頭での密約が重くのしかかっていること
も「劇場属国座」が現在も脈々と続いている一つの原因であり、
明治以来の「近代天皇制」の精神構造、
――白井聡「永続敗戦論」で明かされたような属国精神が、
それらとぴったりマッチしたと言えるようです。
「新しい戦前」どころか、もはや「戦中」だ――。
加速主義化する、この国の“いま”を問う。10年超続く日本政治の“1強体制”は、社会に何をもたらしたのか。
防衛政策を大転換した岸田政権の落とし穴と日米安保の矛盾、政治への暴力が意味するものとは。
さらには覇権国家・アメリカの凋落、米中対立やウクライナ戦争をめぐる日本社会の反応など、
“知の巨人”と”気鋭の政治学者”が、この国と世界の行く末を読み解くとともに、混迷の時代に取るべき策を徹底検証する。
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新しい安保関連3文書を出したからには、日本政府は核攻撃されるかもしれない可能性を視野に入れています。
戦前というよりも限りなく戦中に近づきつつあります。
しかも、確たる国家意思によってこうした状況を招いたわけではなく、思考停止の対米従属でこうなっているわけです。
それをこの社会はどう認識しているのか。ほとんど無批判に大軍拡が進んでいる。(白井)戦後日本の安全保障戦略の大転換があって、軍事費も突出し、敵基地攻撃能力(反撃能力)まで言い出した。明らかに「戦争ができる」方向にシフトした。
にもかかわらずメディアは反応しないし、国民もなにごともないようにぼんやり暮らしている。
どうしてこうも無関心でいられるのか。政策転換そのものよりも、政策転換にまるで反応しない日本人の方がむしろ深刻な問題だと思います。(内田)