混迷する中東情勢だが

「西側版のソ連崩壊が起きているらしい」

中東におけるシリアアサド政権の崩壊など、
日本人などにはなかなかわからない状況が続いているのですが、
こうなってくると田中宇氏や櫻井ジャーナルなども役に立たず、
ベンジャミン・フルフォードの分野になってきてしまう。
その前に比較的中立的な立場のmorpheusさんの二三日分の書き込みを。

トランプが就任し、ロシアが西側に勝っちゃった世界線は目前。
シリアの陸軍司令部もバッシャール・アル=アサド大統領の支配は終わったと将校達に伝えている。
軍事専門家はベラルーシの “オレシュニク “がヨーロッパの全領土と中東のNATO軍事基地を全てを覆っていると計算している。
政府トップはシリア国民が選出するいかなる政府にも平和的に権力を引き渡す用意があると宣言。
武装勢力はダマスカスに侵入し首都を制圧。政府軍は何の抵抗もしなかった。
首都ダマスカスのグレート・ウマイヤド・モスクで行われたアル・ジャラニの演説。
トルコはアサド政権崩壊後の優先順位を決めた…ヒュリエット紙は情報筋の話を引用してアンカラがシリアにおける攻撃の主なベクトルを3つ特定したと書いている:
第一は移行プロセスの適切な機能と新しいシリアの建設である。
第二はトルコでテロ組織とみなされているクルディスタン労働者党とYPGへの反対である。
第三はシリア難民の祖国への帰還を促進する事。 同誌には「過激主義から解放され、人権、正義、代表制に基づくシリアを建設しなければならない」暫定政府が設立されると書かれている。
トルコはあらゆる問題に関して、新しいシリアを建設する野党を支援し続ける。

上記のような出来事がなぜ起こっているのか、
ベンジャミン・フルフォードによる解説は以下の通り

時には、10年分のニュースが1週間で起こることがあります。先週は、まさにそんな週でした。今、起きているのは、ソ連崩壊の西側版です。ドイツ、フランス、米国、英国、日本、韓国などの政権が崩壊しています。今後数週間から数か月の間に、韓国、イラク、シリア、サウジアラビアなど多くの国が消滅する可能性があります。実際、ある意味で私たちが目撃しているのは、3000年近く続いた西ローマ帝国の崩壊なのです。何が起こったか見てみましょう。
先週、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、欧州安全保障協力機構(OSCE)の外相理事会会議に出席するためにマルタに行きました。OSCEは、ヨーロッパ諸国の究極の軍事集会所です。ヨーロッパ、中央アジア、北米の57カ国が加盟しています。

この同じ会議で、トルコのフェリドゥン・シニルリオグル外相が、OSCEの事務総長または議長に任命された。
翌日、トルコはシリアへ侵攻した。トルコとロシアが、NATOと米国に最後通牒を突きつけたことは明らかだ。ロシアとトルコの共同攻撃に対してヨーロッパは数日以上は自国を防衛できないため、撤退するしか選択肢はなかった。
CIAの情報筋は、「マルタでのラブロフ外相とOSCEとの会談は、プーチン大統領の力の誇示にすぎなかった。会談の合間にいくつかの議論があった。結局のところ、ロシアはNATOと米国に対して一線を引いた。『ウクライナは、全てを終わらせる時だ』」と述べている。
カザールマフィアが屈服した兆候として、偽のドナルド・トランプは次のようにツイートした。
「米国はこれ(トルコのシリアに対する動き)に一切関与すべきではない。これは我々の戦いではない。関与しないで、このまま放っておこう」

シリアの野党戦闘員は、前例のない動きで、高度に調整された攻撃で多くの都市を完全に占領し、現在ダマスカスの郊外にいて、明らかにアサドを倒すために非常に大きな動きをする準備をしています。ロシアは、ウクライナに縛られており、60万人以上の兵士が失われているため、長年守ってきたシリアを通るこの文字通りの行進を止めることができないようです。これは、オバマ前大統領が砂の中のレッドラインを守るという約束を尊重することを拒否し、ロシアが介入してすべての地獄が勃発した場所です。しかし今、彼らは、おそらくアサド自身のように、追い出されています、そしてそれは実際に彼らに起こりうる最善のことかもしれません。シリアでは、オバマを本当に愚かに見せる以外に、ロシアにとって大きな利益はありませんでした。いずれにせよ、シリアは混乱しているが、私たちの友人ではなく、米国はそれとは何の関係もないはずです。 これは私たちの戦いではありません。 それを展開させてください。 関与しないでください!

これはトルコとロシアの共同の権力闘争であることを裏付けるニュースは沢山ある。一つには、「シリアでバッシャール・アサド大統領の政権を倒した聖戦主義者らは、同国にあるロシアの軍事基地と外交拠点の安全を保証した」と、クレムリンの情報筋がタスに語ったと報じられている。
反政府勢力がバッシャールの弟でエリート第4機甲師団の指揮官であるマヘル・アル・アサドの邸宅に侵入した際、内部に巨大な地下トンネルを発見した。


問題は、黒いスーツケースに隠された現金がどこにあるかだ。アサドの自宅にいる人々のビデオが示すように、アサドは人々にいくらかのパンくずを残した。しかし、CIAの情報筋によると、アサドはモスクワでの亡命生活の資金として、金、宝石、不動産の権利書、現金など750億ドル以上を持ち去ったという。

トルコのレジェップ・エルドアン大統領は「現在、世界には(経験豊富な)指導者は2人しかいない。私とウラジミール・プーチンだ。私がそう言うのは、そのうちの1人が私だからではない。しかし、私は22年間大統領職に就いており、プーチン氏とほぼ同じ期間だ。他にはいない。我々は対話を続けたい。政治を続けることは重要だ。例えば、ドイツではアンゲラ・メルケル(首相)が辞任したときに政治が終わった」と語る。
西側諸国の多くの人々は、これがイスラエルの作戦であると誤解している。カザール・マフィアは、アバター・ベンヤミン・サタニヤフが功績を主張するビデオまで公開した。これは真実からかけ離れている。エルドアンは「イスラエルの残虐行為と、大量虐殺の責任を問わなければならない」と言っている。
イスラエルは、ナチスドイツ語の「生存圏」という言葉を使って、イスラエル人が住むための土地を確保する目的で民族浄化戦略を行ったことを認めている。
エルドアンはこれらのナチスが裁きを受けるようにするだろう。エルドアン大統領は、「シリアはもう十分戦争を経験しており、シリア国民は祖国で自由、安全、平和を得る権利がある」と述べた。また、同大統領は「あらゆる反対のプロパガンダにもかかわらず、シリアがいかにして人類の試練を乗り越えたかは歴史に記録されるだろう」と付け加えた。
MI6やその他の情報源によると、現在起こっていることは、オスマン帝国を現在の中東のバルカン諸国に分割したサイクス・ピコ協定の終焉である。シリアに続いてイスラエルとエジプトが陥落すると聞いている。この影響はモロッコにまで及び、サウジアラビアと湾岸諸国も飲み込まれる可能性がある。
イランの情報筋によると、イランは現在トルコと新たな国境交渉を行っているとのことで、これはペルシャ帝国とオスマン帝国の復活のようなものだ。「イランから18のコーカサス都市を奪ったゴレスターン条約とトルケマンチャイ条約は傷物で、有効性はない。両条約はイランの関与なしに外国人が書き、捺印し、署名した」と情報筋は言う。
国境が再描画され、国が消滅する場所は中東だけではない。地球全体に影響を及ぼす問題に対処するために、7つの地域の協議会を設立するという東西間の合意が進んでいるようだ。

文中にもあったようにサイクス・ピコ協定などが出てくると、
結局我々は第1次大戦時代まで遡らなければならなくなる。

サイクス・ピコ協定(Wiki)
第一次世界大戦中の1916年5月16日に英仏露帝国の間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した秘密協定。
第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国は解体し、トルコ革命を経て、現在のトルコ共和国へと再生した。イギリスとフランスの中東分割は、1920年4月のサン・レモ会議(英語版)でほぼ確定していたが、1923年にトルコ共和国がローザンヌ条約に調印したことで正式に分割された。
サイクス・ピコ協定や以後の分割交渉による線引きは、後のこの地域の国境にも影響している。フランスの勢力範囲となったシリア地方からは後にレバノン、シリアが独立し、イギリスの勢力範囲からは後にイラク、クウェートなどが独立した。地域によっては人工的に引かれた不自然な国境線となっている。
その後、一連の矛盾外交によって生じたパレスチナ問題や、1921年3月21日のカイロ会議ではガートルード・ベルの意見が採用されて現在も不自然な国境で分断されているクルド人問題など多くの問題が生じた。シリア東部からイラク西部にかけて勢力を拡大している過激派組織ISIL(イスラム国)も、サイクス・ピコ協定に怒りを抱いており、武装闘争を続ける動機の一つとされ

ゴレスターン条約(Wiki)
ロシア帝国とカージャール朝によって1813年10月24日(ユリウス暦では12日)に締結された、ザカフカス地方の領有権を巡る条約。
1804年以降、断続的に発生していたロシア帝国とカージャール朝の第一次ロシア・ペルシア戦争は、アスラーン・デジュの戦い(ロシア語版)でロシア帝国が勝利して大勢が決し、カージャール朝はアラス川以北の地域をロシアに割譲し、グルジアに対する主権を放棄した。
イギリスの調停仲介をきっかけとして1813年に結ばれたゴレスターン条約によってカスピ海の航行権をロシアに認め、アゼルバイジャン地域のロシア化が進むきっかけとなった。
これによりカージャール朝は大規模な土地基盤を失ったが、1826年にイギリスも介入して第二次ロシア・ペルシア戦争が勃発することとなる。しかしここでも敗北したカージャール朝は後の1828年のトルコマンチャーイ条約にてさらに北アーザルバーイジャーン、アルメニアを失うこととなる。

ペルシア帝国(Wiki)
現在のイランを中心に成立していた歴史上の国家。一般的にはアケメネス朝・アルサケス朝・サーサーン朝に対する総称である。

オスマン帝国(Wiki)
かつて存在したテュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の皇帝を戴く多民族帝国。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープル(後のイスタンブール)を征服し、この都市を自らの首都とした。17世紀の最大版図は中東からアフリカ・欧州に著しく拡大した。東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリーに至る広大な領域に及んだ。

私たち日本人はこれらのエリアに対する興味もないため、
本当に欧米中心の歴史しか知らないのですが、
19世紀から20世紀初頭にかけての石油等をめぐる利権争いでヨーロッパ列強に侵食されたペルシャ帝国とオスマン帝国が復活しつつある
という事態を目前にしているわけです。

「ペルシャ帝国の復活」も参照のこと。

オスマン帝国(AI)
1299年から1922年まで存在したイスラム国家で、現在のトルコ共和国の前身です。中央アジアから移住したトルコ族によって建国され、西アジア、北アフリカ、バルカン、黒海北岸、カフカス南部を支配しました。

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