遠隔伝授を行いました
「医療と科学について」
昨日、広島県のTさんのご依頼で、
「予知・透視for the シリーズ」の遠隔伝授を行いました。
この方、伝授の前にご質問いただき、
「病因」と「治療」とどちらがいいかとのこと。
で、答は「治療」なのです。
これは、病気の原因を探ること=診断と、
病気そのものを治すこと=治癒というふうに置き換えてみると、
よく分かるかもしれません。
まぁ、有史以前のことはともかく、
ギリシャ時代頃からようやく、
病気の原因についての合理的考察が始まったと考えられます。
それでも当時のヒポクラテスの医術では、
患者の「癒し」が何よりも優先され、
医術は人間の持つ自然治癒力を助長するものと捉えられていたのです。
これに対して、当時のイオニアの自然哲学者たちは、
病気を、例えば<寒と熱><乾と湿><甘と苦>のような二元論から説明し、
演繹的な整合性が保たれるよう研究したのでした。
「科学的」現代医学の立場に近いのはむしろこちらの方と言えるのですが、
ヒポクラテスは頑なに彼らの立場を排し、
病気を局所的な出来事ではなく、
一個の人間の全体的な現象としてとらえたのでした。
(出典:http://201sparrows.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-edbf.html)
彼が科学的事実を評価することは、
古代オリエントに由来する呪術医学とはまるで異なる立場だった、
点からよくわかります。
ではなぜ彼はイオニア自然哲学者の考えを退けたのか。
ヒポクラテスは科学者である前に、
臨床家だったというのがその答えです。
病気の治癒こそが最大の問題であり、
科学的事実はあとからついてくればいいのだという彼の態度こそ、
数千年の時を越えて今も有効性を保っているといえるでしょう。
この話、実は「科学的」現代医学に対する、
鋭いアンチテーゼなのです。
近代医学の成立が、
感染症という非常に明瞭な因果関係を持つ分野から発祥したため、
いつしか医学は「医術」ではなく「科学」の様相を呈し、
医師も「科学者」のような風貌を構える
ようになったこと、
ここに間違いの大きな原因があったわけです。
患者が求めているのは、
今の苦しみから何とか解放されたいということであり、
科学的原因の追及ではないのですから。
(出典:http://karapaia.livedoor.biz/archives/52043394.html)