南京事件の真相
「APAホテルね~」
APAホテルの客室に、
いわゆる「南京大虐殺」を否定する記述のある書籍が置かれていたことが、
大きな議論を呼んでいます。
このホテル、客室が狭いうえ、
女社長の顔があまり好きでないのでほとんど使わないのですが、
そういえば、入口近くにここの亭主の書いたものやらいっぱい。
実はこの事件、私には別の意味でずっと気にかかっていたものです。
というのも、この事件の当事者が故郷会津の連隊だったことを、
数年前に知ったからでした。
「ほとんどが福島県出身者で占められ、会津若松で編成されたため、
『会津の六十五連隊』『白虎部隊』などの通称もある」
とのことです。
薩長藩閥政府のやることはえげつなく、
西南戦争の時も会津出身者を前面に立たせ、
この南京でも、会津の連隊を使ったわけです。
(出典:http://aizu.sub.jp/kawano/x2012_10.html)
そうした思いで「南京攻略と会津六十五連隊」の記事、
今回初めて詳しく読んでみました。
そうすると、なかなか生々しい証言に満ちており、
「事件そのものは信憑性があるなー」
という感じがしました。
ただこの連隊、
「将校109人、下士官・兵3586人で編成された」とあり、
もし30万人を殺戮するには、
兵一人当たり80人以上手がけないと数が合わない。
実際、1937年12月16日には「数千人の中国人捕虜」、
12月17日には、「捕虜の数は1万5000~6000」、
と記載されています。
で、昨日みつけた記事をみると、
南京事件は、戦後のGHQによる、
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」
の一環として誇大にでっち上げられ、
その目的は、
「日本人に戦争の罪悪感を植えつけ、民族の誇りと自尊心を奪い、再びアメリカおよび連合国の脅威とならないよう、無力化・弱体化させること」
だったとされています。
その証拠に、最初は2万人だった数が、
ドンドン水増しされていったのだということです。
『真相はかうだ』は、ひとわたり日本軍の軍事作戦の大失敗の例を示したあとで、「南京の暴行」と題して日本軍による残虐行為をレポートした。
さらにCIEは、このラジオ番組の内容を書籍化したものを『真相箱』というタイトルのもとに出版した。この本の「陥落前の南京」と題された章でも、日本軍が2万人(原文のまま)の中国人に行った「暴行」のことが詳細に記述されている。
とのことです。
さらに、
残虐行為の内容は、原爆投下による広島・長崎の惨劇に見合うものでなければならず、犠牲者数も広島・長崎のそれに見合うものでなければならなかった。あとになればなるほど「南京事件」の被害者の数は膨れ上がっていく
とのことです。
(出典:http://nihon-hosyu.net/post-1298)
では、数を正せばそれで済むのかというと、
「南京攻略と会津六十五連隊」の中にもあるように、
放火・殺害・強姦・慰安婦など、
中国大陸ではさまざまなことがあったわけで、
それを全否定はできない。
と同時に、広島・長崎をはじめ、
東京大空襲をはじめとする無差別爆撃、
沖縄戦の徹底殺戮なども考慮すると、
戦後のGHQ史観からの脱却もまた重要。
ですので、ここまで来ると再び
戦後史の再検討=永続敗戦論からの脱却
が必要となるわけで、
この課題、今年後半と考えております。
やはり、APAのいうこと、
言葉どおりに信用することはできないようです。