北朝鮮の戦後(2)
「冷戦の最前線だった半島」
「1910年、大日本帝国は「韓国併合ニ関スル条約」(日韓併合条約)によって大韓帝国を併合し(韓国併合)朝鮮総督府の統治下に置いた」
わけですが、
それ以前は、李氏朝鮮の大韓帝国=朝鮮半島最後の専制君主国が存在し、
日露戦争後は日本の保護国となり、
日韓併合によって滅亡したわけです。
日本の朝鮮統治に関してはさまざまな見方がありますが、
李氏朝鮮時代と比べると経済的にはかなり発展したといえるようで、
散発的な抗日運動はあったものの、
満州事変・日華事変後は統制がとれていた状態だったようです。
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88)
で、ポツダム宣言受諾後は、
「朝鮮総督阿部信行と朝鮮軍司令官上月良夫により朝鮮へは自治権が与えられ、朝鮮人によって朝鮮人民共和国が建国されたが、アメリカはこれを認めず、進駐の翌日9月9日に軍政を布告。ソ連と共に朝鮮半島を北緯38度線を境に南をアメリカが、北をソ連が占領(分割占領)した。その後、連合軍軍政期を経て北緯38度線より南側が大韓民国(韓国)、北側が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)としてそれぞれ独立を宣言する。アメリカが韓国を、ソ連が北朝鮮を支援し、1950年に朝鮮戦争が勃発した」
というのが概要です。
朝鮮半島はこの時、
「国家空白状態」に陥ったのであり、
半島の北と南でそれぞれ冷戦構造の中から、
民族的アイデンティティを形成しなればならなかったわけです。
この間には、
「国民を虐殺しながら逃げた李承晩と釜山で南鮮陥落を防いだ元日本軍将校と兵士達」
などの話が残り、
北では、
「金日成は抗日パルチザンの英雄譚を元に作られた偶像」
であったという話もあるほどです。
当時北に残された日本人は20万人以上、
警備の厳しいソ連軍の目を盗んで38度線を目指したわけですが、
現地で死んでそのままになった者も3万5千人。
戦後国交のない日朝両国の狭間
では、
さまざまな問題が出来していくこととなります。
(出典:http://blog.goo.ne.jp/kuninomahoroba81/e/3410bd21b1fe298a2dfa0d4dfad7df4c)