熊襲・蝦夷、南北朝、明治維新

「節目々々で改竄が」

昨日の続きとなりますが、室伏氏はこの本の巻頭で、
「明治維新の時、
最後まで薩長同盟に反対していた西郷隆盛が同盟に踏み切ったのは、
長州藩が北朝の天皇に代え南朝の天皇を用意したからだ」
と述べています。なぜなら、
「西郷の別名は菊池であり、
菊池氏は南北朝時代に南朝側で一時九州を席巻しただけでなく、
遠い昔邪馬台国の卑弥呼に恐れられた狗奴国に由来する家柄だった。
ところが現在菊池一族は東北北海道関東四国に多く分布し、
かつてその本拠たる熊本県菊池市を追われた苦難の歴史を今に伝える」
ということだからです。

昨日お話しした九州王朝の二つの流れは、
南北朝時代の底流となっただけでなく、
明治維新の根幹に関わる問題でもあり、
さらに、信長・ 秀吉・家康の出自にも関わるようです。
なぜなら、室伏氏が言うように、
「秀吉が豊臣を名乗ったのは、豊前王朝の トヨに由来し、
その臣であることを世に示すためであった」
とされるからです。
この国では、明治維新前までは、
昨日お話ししたような事実が人口に膾炙し、
心ある人々には密かに伝えられていたのではないか。
それを明治政府が根こそぎ焚書坑儒したのであろう、
現在の私たちは、
大和朝廷の万世一系の共同幻想しか知らなくなっている。

ここに、「東日流外三郡誌」などを加えれば、
熊襲に続いて蝦夷の由来なども出てくるわけで、
私たちは根本的に引き返す必要があるようです。
室伏氏によれば、
万葉集・竹取物語・桃太郎など、
我国では誰もが知っている古典までもが平安期に改竄されたもの
ということだからです。

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