ウルトラ・スーパー・ストリーム
「至高とはどんな意味か」
昨日、5月のセミナーor遠隔伝授で、
何をやるかを考えたのですが、
広告宣伝は5月上旬から始まるものの、
大阪のセミナーが20日なので、
まだ新しい人達はアクセスしてこないだろうと思われました。
で、いろいろ考えた末に、
「スーパーストリーム」のウルトラ版をデビューさせようということに。
(https://www.fami-geki.com/detail/index.php?fami_id=03381)
「スーパーストリーム」の本質は、
至高の世界に人間を結びつけることで、
至高の力を味方につけるということなのですが、
この「至高」という意味が最初から見るとかなり変化してきている。
最初は超古代史論の流れで、
記紀以前の超古代日本のパワー と考えていたのですが、
その後、「竹内文書」の類などは全て記紀をベースにした偽書、
ということが分かったのです。
で、 さらに遡って弥生時代の直前あたりや、
縄文時代まで調べたのですが、
その頃に高度な文明がこの国にあった兆しは全くなし。
しかし、昨年「YES/NOセンサティブ」が開発されたことで、
私たちの力はやはり超能力にふさわしいし、
何らかの至高の世界と結びついていることが証明されました。
で、 今年に入ってから古代史を勉強しているのですが、
どうやらこの国の本質的な形が解明されつつある。
それは、「天皇教」とも言うべき大和朝廷論を粉砕することにつながり、
より高次の普遍的な世界を解明することになるわけです。
国内的にはそうした立場でいいのですが、
来年にはインバウンドを対象とした新たな考えも必要となってくる。
その時、「至高」という意味は、
宗教などを超越するという意味になる。
まあ、キリスト教などは明らかにイエスという一人の男に関して、
様々な尾ひれをつけたり ガセネタをくっつけたりして、
ローマカトリック教会があぐらをかいたことが分かっています。
所謂「ダヴィンチコード」などは、
この嘘を抉ったルネサンス期のダヴィンチやミケランジェロの姿を描いたもので、
キリスト教圏の人間は、 下の絵一発でその意味が分かったということです。
宗教などというものは戒律の形をとった隷属システム
に違いなく、
釈迦が悟りを悟ったときも、菩提樹の下での断食よりも、
農家の娘が持ってきてくれた一杯の牛乳粥の方が重要だと悟ったのでしょう。
ですので、「ウルトラ・スーパー・ストリーム」は、
これらの虚構を超越するレベルとなりそう・・・。
(http://satoshi.blogs.com/life/2004/08/post_4.html)