明治維新までのパースペクティブ
「近世史は西欧資本主義の膨張の歴史」
先週末に、日本中世史へのパースペクティブができ、
安良城盛昭氏と磯貝富士男氏の本を買ったと言いましたが、
日本中世史へのインパクトは、
何と言っても安良城盛昭氏の方が強力であると言えます。
なにせ、織豊政権までは日本に奴隷制が存在し、
人身売買が行われていたのだし、
人さらいや誘拐なども日常茶飯だったと言う事を既に69年に実証したのですから。
安良城氏も磯貝氏も両方ともマルクス主義史観の研究者で、
そういう意味では私にとっては非常に読みやすい。
ただ、磯貝氏の本は800ページ近くの実証的専門的研究書で、
私のような素人には序論(だけで100p以上)以外そんなに必要ではなさそう。
二人とも、中世の奴隷制が一掃されるのは太閤検地によってであり、
これをもって近世という時代が 区分されるのだということです。
ただ、平安末期から鎌倉・室町・南北朝・戦国期までは、
奴隷制が一層進行したと見るのが 磯貝氏の見方で、
その原因は、寒冷化によって稲作生産が低下したことが挙げられております。
磯貝氏の序論だけをとってみても、
当時のポルトガル人は日本を奴隷貿易の対象と考えていたとされていますし、
織豊政権にとっては、
それを禁止することが統一政権としてのアイデンティティだったのだとされます。
ここまで見てくると、
江戸時代が発展段階論的には西洋封建制社会に匹敵するのですが、
同時にこの近世という時代は、
国内単独で完結するような論理でカバーすることはできず、
ヨーロッパ人が来始めた時期と考えなくてはなりません。
そうした意味では、
「一六世紀半ば(ヨーロッパ人の東アジア来航)から一九世紀半ば(アヘン戦争)までの約三〇〇年間を、東アジア史の「近世」として時代区分すること」
が妥当であるとしたほうが良いのではないでしょうか。
ヨーロッパ人の来航は彼らの資本主義的生産様式の発展と密接に関係し、
産業革命以後は爆発的な勢いをもって東アジアに押し寄せたわけです。
インドが餌食となり、次に中国がアヘン戦争以降収奪され、
最後に日本も、
幕府の小判が大量に不当なレートで銀と交換され持ち出されたわけです。
で、ヨーロッパ人たちは、
幕府と薩長との対立に揺れる状況を利用して、
薩長に金融及び武器の支援を行い日本支配のベースを作ったと言うわけです。
ですので、
明治以降の日本の政権は欧米資本の傀儡であった
と規定するのが正しいのではないでしょうか。
坂本龍馬が活躍したとされるグラバー商会なども、
当時のイギリス政府の意向を強く請け負った、
ジャーディン・マセソンの日本代理店であり、
今も世界の法人番付400何番として残っているこの会社は、
中国にアヘンを持ち込んだ国策会社なのですから・・・。