天皇制について
「理性を取り戻すべき」
一昨日、明治天皇及び昭和天皇による、
日本女性の人身売買について書きましたが、
当時の金の流れから言ってこのことはやはり本当なのかもしれない。
というのも、
徳川幕府の金貨はペリー以来の開国によって、
国際レートよりも不当に安く銀と替えられてほぼ底をついたのだし、
薩摩長州あたりにもさほどの金があったとは思えない。
全てはジャーディン・マセソンとその日本代理店であるグラバーにより、
イギリス金融資本からの金が倒幕=日本の金融支配のために用意されたわけです。
当然天皇家にも 金があったわけではなく、
その後のアジア各地の侵略によって集まってきた金銀財宝と言っても、
それはおそらく昭和の15年戦争以降 の話でなければ辻褄が合わない。
日清戦争だって日露戦争だって、
その裏にイギリス金融資本の莫大な融資があったのだし、
最後には帳尻を合わせるため国内及びアジア各地において、
何100パーセントと言うインフレを起こして切り抜けたと言われております。
で昨日は、この情報を見つけてきたブログ主本人が、
「平成天皇の最後の記者会見を見て感動した」
などとほざいている。
また他にも、
天皇制における歴史的な正統性の根拠など、吹けば飛ぶような神話であり、捏造された伝承にすぎない。それでは、現在の天皇家に対して、どのような姿勢を示すべきか?
私個人の意見をいえば、捏造された真っ赤な嘘の歴史ではあっても、それを信奉する人が多数いる以上、その人たちの思いのなかでは、天皇の権威は正当なものであり、我々が、どれほど「あれは嘘なんだ」と叫んでも、それが理解されるまでには、長い時間がかかるのである。
明人氏は、強力な民主主義者であるエリザベス・バイニング夫人の薫陶を受け、強固な反戦平和の思想を持ち、「象徴としての務め」に生涯を捧げ、それは日本国民に広く支持されている。今の明人夫妻を批判する者は少ないであろう。これほどの凄まじい人気のある明人夫妻を「偽天皇」と決めつけてみても、耳を傾ける者はほとんどいるまい。
などと言って天皇制を半ば肯定している。
しかし、平成天皇を平和主義者であると断定すること自体に、
やや早計な無理があるのではないか。
「23日報道された明仁天皇の最後の記者会見(誕生日会見。実施は20日)をメディアはこぞって最大限に賛美し、「感動した」などの「国民」の声(だけ)を報じました。
しかし、会見内容を分析すると、そうした「賛美」とはまったく逆に、多くの問題を含むきわめて政治的な重大発言であることが分かります。
こうした政治的発言を行うこと自体、憲法第4条に抵触します」
というアリの一言氏の見解の方が納得できる。
で、こないだの「ジャーナリスト同盟通信」の記事、
信憑性は2:0で大。山田盟子の本も2:0で読むべきとの結果に。
皇国史観の元となる天皇制はやはり廃止すべき
と私は考えます。
いつまでも自国の置かれた状況から目を背けているのも、
近現代史の真実が隠ぺいされ、
幕末の国学によるところがかなり影響していると考えられます。