鬼塚英明の片鱗(2)
「巨大資本が歴史を作る」
原爆に関する鬼塚氏の著作はもう一冊あり、
「 原爆の秘密 (国外編)殺人兵器と狂気の錬金術」というものです。
この内容は原爆開発というものが決して国家による兵器の開発ではなく、
巨大資本による利益追求の為だったとされています。
巨大資本はそのために連合国も枢軸国も関係なく 、
最大利益のためだけに行動したわけで、
国際政治も戦争も彼らにとっては利益のための手段であったとされています。
例えば、
湯水のように税を投入したマンハッタン計画の効果を国民に見せるため、スペクタクルが必要だった。実際投下すると非難の声が上がり始めたので、犠牲者を減らすために必要だったと宣伝し始めた。もちろん投入された資金は原爆カルテルの懐に入り、それ以降も原爆産業として成立していったわけです。また、ソ連に見せつける効果もありました。
ヒットラーもやらせだったということです。ご存知のようにヒットラーは最初選挙で国民に選ばれたのですが、その資金は銀行家達が提供し、ハンブルク・アメリカン・ライン(ドイツのユダヤ財閥の最高位に位置するマックス・ウォーバーグとアメリカのハリマン財閥が共同経営する当時世界一の汽船会社)が、ナチを押さえて憲法を守ろうとしたドイツ政府に反対するキャンペーンに資金を投入したのだそうです。
また、ロックフェラー系のスタンダード石油から資金を与えられて設立されたハンブル石油社はナチスに石油を送り続け、ハンブル石油社と英国王室は、ロンドン爆撃で使われるナチスの飛行機の燃料として使われるガソリンに対して、特許使用量をナチスから徴収していました。
ヒットラーはベルギーを占領して国民を殺しましたが、王室と金融は大切にし、ロスチャイルドの分家ランベール家が支配するソシエテ・ジェネラルは戦後すぐ5%もの配当を出しているのだそうです。
日本に2発以上の原爆を落とす計画がうまく行くためには、天皇がポツダム宣言をその前に受諾しては困るので、国内にも協力する勢力があったはず。
ということで、
天皇をはじめとする日本の支配中枢はあらかじめすべてを知っていたということになるわけです。
以上のように追求してきた鬼塚氏のメスが、
次にこの巨大資本の構造に向かうのは当然であり、
具体的にはイルミナティ・ロスチャイルド・ロックフェラーなど、
いわゆる国際金融資本の裏側を暴く形となります。
これが「 20世紀のファウスト」というほんであり、
第二次対戦に至る歴史も、
すべて国際金融資本によりあらすじができていたという形になるわけです。
*トルストイは日記の中で「世界を支配しているものは完全な気違いである、と確信している。」と書いた。
*1912年にハリマンは「スカル&ボーンズ」という秘密結社に入会した。1832年に創立されたこの結社は、ウィリアム・H・ラッセルの力添えによる。ラッセル家はアヘン戦争があった19世紀、髑髏と2本の大腿骨(スカル&ボーンズ)の旗を船に掲げて、大英帝国のためにトルコから中国などへと麻薬を運んでいた。この旗の図案は古代イルミナティのシンボルで、生贄儀式や秘密の言語で使われていた。テンプル騎士団もこの旗を使用している。このラッセル社の責任者ウォーレン・デラノ・ジュニアの孫がフランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領である。
*20世紀の初頭、イルミナティ結社員により、サタン崇拝主義の結社「ピルグリム・ソサエティ」が創設された。ハリマンはこの結社の一員となる。
*ハリマンはナチスへの融資にダレス兄弟を利用した。兄ダレスがシュレーダー銀行、スタンダード石油の代理業務をこなし、弟はIGファルベンなどの企業を操った。1933年、J・ヘンリー・シュローダー商会のクルト・シュローダー男爵はヒトラーに次のように語っている。「天下国家の大目的をかなえていただくために軍資金が必要だと思う。ナチス党の全債務をこの際、われわれが一切合切、肩代わりさせていただいて、あなたは身軽になって、大奮戦していただきたい。そういう相談がまとまっているのです。」ロスチャイルドやハリマンたちはヒトラーに軍資金を与え続け、「乱」を起こさせようとしていたのである。
*アメリカの金融資本は、国家だけでなく、ドイツ最大の兵器産業クルップにも金を無制限に貸し出した。クルップはその金の一部をヒトラーに寄付した。また、ドイツのみならずソヴィエトにおいても銃器、弾薬の工場を建設した。スターリンは安価で武器や弾薬を手にし、ことのほか喜んだ。
*ロックフェラーのスタンダード石油は、スペインやラテン・アメリカでナチス・ドイツの船舶や潜水艦に燃料補給を続けていた。石油をナチス・ドイツに安全に充分に提供しないと戦争が始まらないし、長続きしないからである。
*ロスチャイルドは、レーニン、トロツキー、スターリン時代のソヴィエト経済の実質的支配者であった。「五ヵ年計画」は、ハリマンが中心となり、合法的マフィアが動因されてこそ生まれたものである。若きハリマンがマンガン鉱山を開発し、ロックフェラーが積極的に工業開発に参加した。
*17世紀のフランスの箴言家、フランソワ・ラ・ロシュフコーはこう書いている。「世に語られる歴史はほとんど嘘である」
第二次対戦における連合国と枢軸国の間で、
また日米・独ソの間で巨大資本が暗躍したと言われても、
戦後生まれの私たちには半信半疑なのですが、
時あたかも2011年の東日本大震災と福島第一原発の事故を受けて、
同年出版された「黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア」に目を通すと、
鬼塚氏の主張もある程度納得がいくのではないでしょうか。
第2章 日本の原発マフィアたち
日本の原発マフィア第1号 正力松太郎
「佐野真一が『謀略の昭和裏面史』(別冊宝島2006年)という雑誌の特集のインタヴューを受けて、正力松太郎について答えて次のように語っている。」
「いちばん大きかったのは、GHQ経済科学局の副官だったキャピー原田という日系二世の米軍情報将校に助けられたことです。」
「読売グループは周知の通り保守反共路線ですね。それから彼は原子力の導入にも大きな役割を果たしていくことになります。こうした正力の軌跡は、そのままアメリカの対日政策の変遷と重なります。これは決して偶然ではないと私は思いますね。」
(以上佐野真一からの引用終わり)
「正力松太郎の懐刀で、原子力と正力を結びつけて影で活躍した人物に柴田秀利がいる。
彼は正力を『原子力の父』と呼ばせる仕掛け人となった。有馬哲夫の『日本テレビとCIA』によると、NHKのニュース解説を務めた末、電波管理委員会に随行してアメリカを視察、テレビ導入に奔走した男として登場する。同書によると『CIAが日本テレビを工作の対象として動き出すのは1953年の3月25日になってからのことだ』とある。」
「(1954年)3月1日、アメリカがビキニ環礁で水爆実験をし、第五福竜丸が被曝したニュースを読売新聞が3月16日にスクープして報道した。アメリカは驚いたに違いないのである。佐野真一は『巨怪伝』の中で次のように書いている。『・・・放射能の影響からマグロの値段が半値に暴落し、東京・杉並区の一主婦から始まった原水爆実験禁止の署名運動がまたたく間に三千万人の賛同を得ていたころだった。(中略)数日後、柴田は結論を告げた。”日本には昔から”毒をもって毒を制する”という諺がある。原子力は諸刃の剣だ。原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳いあげ、それによって、偉大なる産業革命の明日に希望を与える他はない。この一言にアメリカ人の瞳が輝いた。』」
「CIAから暗号名『ポダム』を与えられていた正力は、輝かしい日本の未来を願い、CIAから一千万ドルの小切手を貰って日本テレビを創り上げ、かわりに、三千万の人々の反原発運動を『毒をもって毒を制する』方法で、原子力の平和利用を工作したというわけである。」
「読売新聞は1955年元旦、『原子力平和使節団招待』という社告を第1面に掲げた。『原子力は学問的に見ても、とっくに技術開発の段階さえ終わり、工業化と経済化への時代、それも輝くばかりの未来性を暗示する時代に来ている。広島、長崎、そしてビキニと、爆弾としての原子力の洗礼を最初にうけたわれわれ日本人は、困難を押し切ってもこの善意により革命達成の悲願に燃えるのは当然だ』まさにオセロ・ゲーム的な文章である。”善意”でなくて”悪意”ではないのか。」
原発マフィア第2号、中曽根康弘
「中曽根はアメリカ特別大使J・F・ダレスが来日(1951年1月)した際に、ダレスに航空および原子力の研究の自由を求める書簡を送っている。1952年4月28日に講和条約が発効しているから、その約一年前のことである。」
「中曽根は原発マフィアであった。それも日本がまだ独立していない時期からである。児玉誉士夫の子分となり、政治資金を貰い続けているうちに、児玉同様にアメリカの、特にCIAのエージェントになっていたものと私は推察する。中曽根は1953年7月から11月まで、ハーバード大学の国際問題研究会に出席するために渡米している。この旅の途中で彼の面倒をみたのは当時ハーバード大学の助教授だったヘンリー・キッシンジャーだった。キッシンジャーは当時ネルソン・ロックフェラーのブレーンであったが、助教授になる前にロスチャイルドが実質的に支配するタヴィストック研究所に行っている。いわば、ロスチャイルドのエージェントでもあった。中曽根は四ヶ月もかけて、何が目的でキッシンジャーの世話を受けたのかを考えるとき、謎が解けてくる。」
「佐野真一の『巨怪伝』から引用する。『中曽根はその著書のなかで「これがわが国における”第三の火”のスタートとなった」と書いている。中曽根が原子力予算案を出したのは、アメリカが極秘のうちにビキニ環礁での水爆実験を行ってからまだ二日後のことだった。ここから浮かびあがってくるのは、中曽根はビキニの核実験をひそかにアメリカ側から知らされた上で、あえてこの日に原子力予算をぶつけてきたのではないかという疑惑である。さきに述べたように、読売がこの水爆実験をスクープするのは、3月16日のことだった。もし読売のスクープが出たあとであれば、当時の国民感情からいって、この予算案は通るどころか、上程することすら出来なかったはずだ。』」
「中曽根が夏季セミナーに参加した頃、1953年8月、ソ連が水爆実験に成功している。
ルイス・L・シュトラウスを中心とした強硬派が核の予算獲得を主張していた頃である。シュトラウスがアイゼンハワーを動かし、『アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)』の演説の準備に入っていた。私はシュトラウスが日本を一つの大事なファクターとして考えていたと思う。」
「シュトラウスは唯一の原爆を落とされた国ニッポンに的を絞り、原子力の平和利用の国家としようとしたのである。」
註 ルイス・L・シュトラウスについて第1章から要約
ロスチャイルドのアメリカ代理店であるクーン・ローブ商会の共同経営者。同商会はロックフェラーセンター・ビルの56階に陣取り、ロックフェラー家全体の財務を担当し、一族の銀行口座すべてを管理している。つまりロックフェラーの事業、投資はすべてクーン・ローブ商会の共同経営者の承認を受けなければならないことを意味する。これは今日でも変わらない。シュトラウスは1950年から53年までロックフェラー兄弟の財務担当顧問の地位にあった。彼はロード・ロスチャイルドが見事に育て上げた優秀なるエージェントであった。
「和製原発マフィア第1号と第二号は、CIA、アメリカ陸軍情報部、そしてAECらの手で大事に育てられてきたのである。」
私たちはこうして、
日本というものが、完全に国際金融資本の手のひらの上で踊っていた
ということに気づかされるわけです。