鬼塚英明の片鱗(3)
「日本近代の位置づけ」
さてここから、話は再び国内のことに戻ります。
「 瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人」て鬼塚氏は、
この国は明治維新からの「虚構」で運営されている国なのである。明治維新の大嘘は、大東亜戦争でリセットされたようにみえるのだがそれも大嘘の一つである。大東亜戦争は米国のオレンジ計画に基づき遂行された。終わらせ方もあんなめちゃくちゃの終わらせ方になっている。「敗戦」を「終戦」といいくるめ、戦争遂行者の裕仁氏の戦争責任は追及されず、現代史家はすべての臭いものに蓋をした。敗戦処理にあたり、裕仁資産は池田勇人によって秘匿された。そして、国内から集められた、貴金属、アジア諸国から集められた多くの貴金属は、田布施システム維持のための基金となった。その金額は国家予算に匹敵するほど膨大なものなのだ。現代史を語る上で「田布施システム」をかたらない史家はすべて偽物である。山口県熊毛郡田布施はのちに明治天皇になる、大室虎之祐の出身地、伊藤博文も、佐藤兄弟も、それから多くの権力の中枢に座った人間の出身地でもある。
歴史は途中で途切れることはない、なんらかの形で、継続するものなのだ。明治の大嘘は司馬史観でリセットしようとしたが、この嘘はまもなくばれた、一生懸命なのはNHKだけだ。
今上天皇の最大の悩みは、父親が強化した、田布施システムを受け継ぎながら、贖罪の意識に、押しつぶされそうになっていたことにある。彼の贖罪の旅は、父親の罪のあがないなのである。そして田布施システムがこの国の二重権力を生み、昭和天皇の死後は、矛盾が拡大していく事となるのである。それを懸命におしとどめているのが、満州帝国時代にできた「電通」という広告代理店なのである。さて、戦後は、裕仁氏にとって、おおきな賭であった。自分の号令一下動く、軍隊はなくなった。内乱・反乱・侵略から、天皇制を守ってくれるのは米国しかなかった。米国は、ペンタゴンの奥深くに「フルベッキ写真」の原盤を持っている、日本国権力の成り立ちを、押さえているのだ。
と書いています。
で、次の著作「 日本の本当の黒幕」では 、
「江戸末期(1843年)から昭和時代(1939年)まで生きた、田中光顕(たなかみつあき)という人物を中心に据えて描いた、明治から昭和時代の日本の政治史」
を書いていくわけです。
「一般的には、田中は土佐(高知県)の出身の維新の志士で、坂本龍馬が作った陸援隊の一員として有名であるようだ。ただ、1939年に95歳(97歳)になるまで生きて、大日本帝国の政治の中の重要な位置をしめていたことはあまり知られていない。
田中光顕という人は、明治政府では1898年2月9日から1909年6月16日まで11年にわたって、宮内大臣の職についており、これが公式的な権力の頂点であるようだ。伊藤博文首相の元では今の官房長官に相当する内閣書記官長や警視総監も務めているが、11年にわたって宮内大臣を務めていた点が重要である」
ということなのです。
かなり長い本なので詳細は省きますが、この中で明らかにされるのは、
5.15事件や2.26事件の正史とは異なる 裏の真実や、
田中光顕が三菱マネーを受け取ることで、
三菱の代理人として政界におけるフィクサーの役割を果たしており、
(1)三菱財閥との秘密、
(2)頭山満などの右翼を使って行った政治工作の秘密、
(3)明治天皇、大正天皇、昭和天皇の三世代に渡る皇室の秘密事項、
などが語られていきます。
さらに、三菱と三井の関係で、
1932年の血盟団事件(井上準之助、団琢磨などの三井の要人暗殺、第二弾として、5月15日には三井財閥系の犬養毅首相の暗殺が首相官邸で行われた)、
の真相なども明らかにされていきます。
このように、 鬼塚氏は残されている資料の断片をつなぎ合わせることで、
怪物ともいうべき田中光顕という人物を中心に据えて、
明治から、大正、昭和初期に至るまでの権力闘争を描いた。
戦前の闇を研究するには良い出発点と評価されるようです。
そして事実上最後の著作となる、
「 『反日」の秘密』朝鮮半島をめぐる巨大な謀略」においては、
これまで述べてきたような経緯に基づき、
現在の日本人に一般化しつつある嫌韓論・嫌中論を否定するべく、
3.1運動以降の歴史と、
そうした歴史を抹殺するアメリカの意図について述べ、
日本人の奢りと昂ぶりを徹底的に解剖していきます。
とかく国内のことにばかり目を奪われる日本人ですが、
アメリカは自国の利益のために極東のことをどう見たのかなのです。
ルーズヴェルトの方針は一貫していた。彼は「日本を南方(フィリピン)でなく、大陸に向ける。そして満州においてロシアと対峙させ、両方の軍事力を消耗させる。やがて、日本を中国に侵入させ、太平洋に誘い出して敗北させる」という思想の持ち主であった。日露戦争前から秘密裡にこの計画は練られ、「オレンジ計画」として登場する。
「ジャップの野郎にすきなことをさせておけ。しかし、今しばらくだ」。日本人は福沢諭吉が明治維新後から「脱亜論」を説いたが、日本人は白人並みの扱いは決してされなかった。だが、朝鮮人に対するルーズヴェルトの態度はそれを上回る冷淡さであった。
と述べております。
国際関係の冷酷な論理の中で弄ばれる極東の小さな国、日本と朝鮮。
この関係についての日本人の あまりにも無知傲岸な態度について、
鬼塚氏は 林秀彦の『憎国心のすすめ』の一節を引用しております。
「悔し涙がたぎり落ちる。
このとおりなのだ。すべて。そして、誰かが操作している。この日本人の本性を、骨の髄まで他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、どこかの民族が、その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長させ、推進させ、搾取し、あやつっている。
そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人びとは(私が日本人を愛する故にわざと呼ぶ、“ジャップ”たちは)、気づかないのか。
そしてこの本は次のような言葉で終えられます。
日本の多くの識者が、誰が最初に発明した言葉かは知らないが、「韓国の歴史はファンタジー(空想)」という。ならば「日本の歴史もファンタジー」である。特に、幕末から、明治・大正・昭和の時代の歴史はほとんどファンタジーである。だからこそ、私はこの「ファンタジー」に挑戦し続けている。アメリカを抜きにした日韓の歴史がいかにファンタジーに満ち溢れているかを私は書こうとしているのである
大急ぎで見てまいりましたが、
鬼塚英昭氏の視点で近・現代の日本を見ると、
私たちが学校で習った明治維新以降の歴史など、
皇国史観に基づく全く一方的なものであったと考えざるを得ません。
近世の日本がヨーロッパ人の来航をもって始まり、
幕藩体制成立の重要なファクターが当時奴隷制度であった日本における人身売買、
さらにイエズス会=ポルトガル人による日本人奴隷の貿易 であったとすれば、
近代以降の日本は、欧米金融資本がお膳立てした舞台で、
薩長皇国史観の田舎芝居を打ったというのが 一番当たっているかもしれません。
ここまで見てきて、
日本近代史論の表題は「欧米金融資本と跛行的近代」
とすることに決めました。
跛行的というのはマルクスの言葉ですが、
資本主義がその内在的法則に従って発展したのはイギリスのみであり、
ドイツやイタリア・フランスなども 先進国イギリスの圧迫を受けながら、
かなりゆがんだ発展をしたことを指しております。
まして、インド・中国・日本などをはじめとするアジア各国は、
欧米金融資本の直接間接の餌食となったとして近代以降を考えなければならない。
以前も言いましたが、インドや中国は自国の独立を勝ち取ったものの、
日本は今に至るまで完全に属国化されているわけで、
この事を認識しない限りこの国に未来はないと考えられます。