保守派の間違いの元
「共同幻想に搦め捕られる」
昨日ちょっとヒマだったので、
YOUチューブの武田邦彦の動画を見て驚きました。
日本が民主主義を世界で最も早く宣言した国というのですが、
その論拠は二つあり、
一つは「古事記」の記述、もう一つは「奴隷制」がなかったこと、
というのです。
しかし、古代史と中世史をやった身にとっては完全な事実誤認といえる。
武田邦彦といえば私も、
煙草と肺がんの因果関係を否定している部分や、
また、CO2地球地球温暖化論を否定している部分に共感し、
以前からよく勉強していると感心してきた学者。
でも今見てみると、この本にも、
「米中同時没落と日本の繁栄」などという見当ちがいな副題が。
まず「古事記」の記述ですが、
本当に武田邦彦が言うように書いてあるのかどうかはわかりませんが、
少なくともイザナギ・イザナミが神で、
その流れの下に神武があって、
そこに歴代の天皇がつながるという認識が事実誤認。
すでに日本古代史論で書いたように、
室伏氏はさらに、「記紀」の改竄はこれにとどまらず、イザナギ・イザナミを海士族の造化神の次に置き、さらに下に三貴子(須佐之男・天照・月読=いずれもタカミムスビ配下)を唐突に挿入し、その次に神武を持ってきた点にあると続けます。何故なら、 海士族の時代による首長は、列島への到着順に、八雲王朝=大州時代には神魂命(神皇産霊命カミムスビ)、次の出雲王朝=大州と壱岐・対馬共存時代には大国主命(八千矛神)、最後の九州王朝・壱岐・対馬時代には高魂命 (高皇産霊命タカミムスビ)となるのであり、イザナギ・イザナミの出自など磤馭慮島(オノゴロ=博多湾岸の能古島)程度だとされるからです。
ということになるから。
「古事記」が豊前王朝史、「書紀」が日本国史であるとしても、
神代の事績については大言壮語がつきものなのが各民族の特徴。
どこまでが本当なのかは、
上記の室伏氏のように、東アジア民族移動史の中で考えていかなければならない。
そうすると、天の御中主などは架空の存在とされ、
そのほかにも架空とされる神々が多いのではないか。
室伏氏のいう根源的な三神は、
何れも出雲や壱岐・対馬に社があり実証的に証明できるわけです。
武田邦彦も、肺がん発生率と喫煙率とか、
CO2濃度と温暖化曲線などのように目に見えるものは評価できたし、
放射能によって発癌率が20~40倍になっていることも報告している。
しかし、そこは理系の学者のこと、
九州王朝論とか日本中世奴隷制論とか、
文系のかなり専門的な領域になると手が及ばなくなってきたのでしょう。
その結果、天皇制賛成論になったり、日本礼賛論を言ってみたりする。
すべての領域をカバーしなければならないとは言いませんが、
一応は学者なのですから論理的な根拠を明らかにしなければならない立場。
ただ、天皇制の成立に伴う共同幻想の確立とともに、
支配層を含めて一時的な方便を悠久の昔からの出来事と誤解してしまった。
そのために「旧唐書日本国伝」は奈良庁の官僚を評して次のように言ったのです。
「其の人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以て対こたえず。故に中国これを疑う。」
嘘や方便は国内では通用しても対外的には評価されない
というのは、何も現在の自公政権・安倍内閣のことだけではなく、
1300年も前からの事実なのです。
それにしても、真実に近づくほど孤立が深まる・・・。