改竄・偽装が堂々と

「この国が甦るには」

昨日の新聞を見ると、
一昨日とは打って変わって今度は新天皇の全面広告が。
「誠実で気さく、思慮深い人柄。そういうイメージは実際はどうなのか」として、
劇作家の山崎正和とバイオリニストの黒沼ユリ子が提灯を持ち、
ああだこうだとどうでもいい協賛話しを。
まぁ、この人たちも年をとってほかに何の仕事もできないから、
こうやって政府やマスコミからもらうしかないのでしょう。
そのほか「学友ら座談会」として、
やはり人柄をほめたたえる与太話を 4人が。
しかし、象徴といい天皇といい、
これらは日本国憲法下の特別公務員あるいは制度上の機関といってもよい。
だから、人柄うんぬんとかは余計な話しで、
もっと制度的な話しをすべきではないか。

で、新聞にはご丁寧にも「二中歴」の九州年号を無視した元号総覧と、
歴代天皇一覧と称する系図が。
そして「 26代継体より前の天皇は実在したかどうか諸説ある」
などという完ぺきに狂った解説が。
今の私にはこれを見ただけで神武から開花にいたる豊前王朝、
崇神(ミマキイリヒコ)~垂仁(イクメイリヒコ)のイリヒコ系から景行(オホタラシヒコ)~成務(ワカタラシヒコ)~仲哀(タラシナカツヒコ)~神功のタラシヒコ(ヒメ)系へと変わる筑豊の王朝、
の流れが分かり、さらに、
応神とは百済から来た残国(百済宗家)の兄王であり、
応神=仁徳・履中・反正と紛らわしいということも年表に書いてある。
「日本書紀」は欠史八代として豊前王朝を隠し、
倭の五王朝時代を適当に隠ぺいし、
筑紫の君磐井=倭王武は温祚百済の系統に属していたのであり、
「磐井の乱」とはその彼が仇台百済の牟氏系だった継体に討たれたという事件なのだ。
では、継体とは誰か。

九州年号――「二中歴」「年代歴」の継体年号は誰の年号かというと、それは旨王の弟・軍君(書紀の日本表記)=男弟王(画像鏡の百済表記)=男大迹(書紀の日本表記)=袁本杼(古事記の日本表記)=雄大迹(筑後国風土記の日本表記)=継体(淡海三船撰定の漢風諡号)=武烈大王(「二中歴」年代歴の善記年紀にある大王名)の年号である。軍君・継体の在位は494~521年の28年間である。

「日本書紀」は継体以後もつぎはぎを繰り返しながら、
崇峻・推古までを近畿大和の政権であるかのように記録している、
ということが分かっている。

言いだすときりがないが、
この国の古代史通説はインチキだらけ。
その上に立ってこれも改竄・偽装だらけの首相が儀式に出ているが、
なんか菅がかなり大きく目だっているのは気のせいか。
午後勉強をしていたのですが、
その内容たるや血圧と塩分の嘘、
コレステロールと肥満の嘘、
動脈硬化と脳こうそく心筋こうそくの嘘などなど、
この国だけに通用する嘘が医学界では堂々と通用している。
令和は新時代でも何でもなく、
国家的な詐欺が延々と続く時代
ということになります。

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