早や師走
「外圧でしか動かぬ国」
昨日で十一月も終わりきょうから十二月、
瞬く間に時が過ぎていきますが、
皆様は今年という年をどう総括されていますか。
日々報道される大手メディアを見ていると、
何となくこの国がうまくいってるような印象になりますが、
実際のところは桜を見る会だのの節操のなさ、
放射能汚染不沈空母を作った中曽根礼賛に見られるように、
政治も経済もむちゃくちゃに悪化しつつあるのが現在。
では文化はどうかといえば、
下部構造としての経済が先進国で唯一、
30年前を下回っているのですからしぼむのは当たり前。
このままいくとやはりこの国に期待するわけにはいかないのですが、
あとは個々人で目標を決めて新たな世界を開くしかない。
私個人としては 2019年を以下のように総括しました。
この1年は私共にとってかなり
大きな進展の年であったと考えております。まず 取り上げたいのは、「21世紀の医学=イントロ ダクション」の成果であり、現代医学の臨床の最前線で誠実な仕事をしてきた医師たちの貴重な経 験を取り込むことができたことです。その結果か ら申し上げられるのは、細分化・肥大化を極めた といえる20世紀の医学は、結局「対症療法」の 限界を超えられなかったということであり、既に 古典的なものと位置づけざるを得ないということ です。例えば「歯は体内の臓器である」とか、「緑内障は脳梗塞や心筋梗塞を起こすような体質が目に集中的に表れた状態」とか、「乾癬はメタボリックシンドロームが皮膚に表れたもの」とこれらの医師たちは主張するわけですが、その背景には戦後のわが国の医学・栄養学が見落としてきた致命的な欠陥が認識されているわけです。ただ単に生活習慣を変えるということだけではなく、事は一つの文化が危機にさらされている状況なのだと考えざるを得ません。
そしてもう一つは、福島第一の事故で表面化した放射能の件であり、2017年を境に汚染による被害は遠い東北の話ではなくなり、中部地方から近畿中国四国九州にまで及んでいることが明らかになってきたようです。北関東や首都圏における異常な病気の多発は、既にこの国の主要部が壊滅的な危機に瀕していることを物語っておりますが、改竄・隠蔽を常態とする日本政府と官僚機構により、国民は聾桟敷に置かれているといってよいのではないでしょうか。
一体なぜこんなことになってしまったのか。参考となるのが、ここ数年内にみられた種子法廃止、種苗法・市場法・水道法・漁業法改悪であり、ラウンドアップをはじめとした農薬規制緩和やゲノム編集解禁・農地法改定などが挙げられる。現在の国家独占資本主義というものが、いかに国民の福祉に逆行するものであるかがこれで分かるわけですが、NHKをはじめとする御用メディアから流れるプロパガンダが国民の目と耳を塞いでしまっている。上記の食糧の問題はもちろん、医療にしろ教育にしろその他のすべての分野で、私たちは揺り籠から墓場まで巨大資本に収奪されているということが明確になった一年だったのではないでしょうか。
70数年前の敗戦の光景は、
日本国民が外圧でしか動かないことを実証したことは明らかです。
吉本は「丸山真男論」の中で、敗戦の光景を三つに区分しました。
「戦争で疲労し、うちのめされた日本の大衆は、支配層の敗残を眼のあたりにし、食うに食い物がなく、家もなくなった状態で、何をするだろうか?暴動によって支配層をうちのめして、自らの力で立つだろうか?
あるいは天皇、支配層の『終戦』声明を尻目に徹底的な抗戦を散発的に、ゲリラ的にすすめることによって、『終戦』を『敗戦』にまで転化するだろうか?
しかし、日本の大衆はこのいずれの道も選ばず、まったく意外な-(中略)-道をたどったのである。大衆は天皇の『終戦』宣言をうなだれて、あるいは嬉しそうに聞き、兵士たちは米軍から無抵抗に武装を解除されて、三々五々、あるいは集団で、荒れ果てた故郷へ帰って行った。よほどふて腐れたものでないかぎりは、背中にありったけの軍食糧や衣服を詰め込んだ荷作りをかついで
結局のところ、
戦後民主主義とは欧米のまねをした仇花だった
ということであり、
古代の総体的奴隷制・中世の家父長制的奴隷制の記憶を、
日本国民は払しょくできなかったということになります。