黄色で外に出られない
「レーダーなき国民」
昨日の朝いつものように散歩に出ようと思ったのですが、
夜来の風雨のせいか当地の周辺のモニタリングポストが皆黄色。
0.06から0.08μ㏜/hを示しており、
平均で0.07は行っている感じ。
当市のモニタリングポストなどはこうした時は測定回避。
何せインチキなので窓から手だけ出して測ってみると、
やはり0.07μ㏜/hという予知能力に支障をきたす、
=肉体への影響が顕著になる限界を表示していた。
まぁ、ウオーキングができなければ起立着席運動があると思い、
ウオーキングはやめることに。
まこんな具合に山田國廣氏の理論が正しいこと、
が証明されるわけですが、
だから 12月8日の八重洲の実測値がいかに高いかがわかります。
当日雨も降っていなかったので、
雨で上空のクラウドシャインが降下してくれば、
0.10という福島県郡山並みのレベルまで上がると思われる。
このレベルになると様々な病気が爆発的に増えるので、
東京という場所が完全に汚染地帯になっているわけです。
スマートフォンが普及したとか、
モバイルタイプの端末がどんどん進化しているとか、
さも日本が IT大国のように言われているのですが、
ちょっと調べればすぐわかる放射線量などだれも見ない。
3.11のとき真っ先に逃げたのは、
そういえば中国人をはじめとした外国人たちであって、
日本人の行動は非常に鈍かったことが思い出されます。
だから、東京駅にしろ八重洲口にしろ、
あるいはまた東京西部の高線量にしろ、
皆さほど気にもせずに無防備状態で暮らしている。
雨だの風だのに注意しないといけないのに、
このゆるさorぬるさは一体何なのかと考えてしまいます。
それで思い出したのですが、
例のミッドウェー海戦の敗因についてなのですが、
私はアメリカ軍がすでにレーダーを備えていたのに、
日本軍は全くそうした装備を持たなかったため、
壊滅的な打撃を受けたと考えている。
しかし、「ミッドウェー 敗因」で検索してみると、
いまだに南雲が悪かったとか、
連戦連勝で帝国陸海軍の兵士は疲労困憊していたとか、
山本五十六が索敵機の情報を重視しなかったとか、
とにかくことの本質に迫らずに、
精神論や偶然論やで片付けようとする風潮が跋扈している。
それできちんと調べてみると、
やはりレーダーの有無が勝敗を分けたというのが正しい。
日本の軍部というのは大艦巨砲主義をひきずって、
航空機の威力を軽視したというのが常識ですが、
そのほか暗号解読技術なども相当遅れており、
既に満州事変のころにさかのぼって諜報分野でかなり遅れていた。
陸軍中野学校などが設立されたのはその直前であったのだし、
レーダーだって八木アンテナの八木教授の発明によるのだが、
その重要性をだれも気がつかなかったというお粗末さ。
それに、山本五十六などはスタンダード石油にリクルートされ、
つまり米軍のエージェントであったというのが真相のよう。
現在のこの国の不気味な静けさというものは、
やがて制空権なき大和の沖縄出撃と同様の結果
を招くものだと考えられます。
あの時 3000数100名の若者たちは、
自らの死の先に戦後の科学技術の発展に裏付けられた、
まともな国を想定したわけですが、
彼らの思いは 70数年後にふたたび裏切られるのでしょう。