2012年7月18日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)白昼の治外法権 さていよいよ今度は「CIA」ですが、この本を書く前に私がこの組織についてもっていた知識はほとんどなく、せいぜい”ケネディ暗殺事件”についての関与説位のものでした。この事件そのものは有名ですので詳細 […]
2012年7月17日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)軍・産・官複合国家 自由と民主々義の国アメリカ、それはまた最も自由な資本主義の国でもあります。この国では誰もが均等に市場に参入することができ、その市場では自由に民主的に勝ち負けが決まっていく結果となります。こう申し上げるのも、実はアダム・ス […]
2012年7月16日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)冷戦終了後の世界 1990年代から始まるポストコロニアリズム(植民地主義後の世界)の第二期を定義して武者小路は、「米国中心のネオリベラル・グローバルスタンダードをもとにした大競争の時代」といっています。そしてグローバル化とはモノとカネの動 […]
2012年7月15日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)植民地から見た第二次大戦 ここまでは主に日本人の”内面的危機”をみつめるため、日本を中心として政治や外交の問題をみて来ましたが、次に1929年(昭和4年)の世界恐慌から第二次大戦とそれに続く歴史を植民地の側からみてみたいと […]
2012年7月14日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)欲望の代償 60年安保を境とした高度経済成長は、既に述べたように1970年(昭和45年)にはほぼ完成し、田中角栄の「日本列島改造論」が出版されるのが1972年(昭和47年)、都市化の波はあっという間に日本全国を覆っていくこととなりま […]
2012年7月13日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)55年体制の起源 前節では、戦前と戦後の連続性を人的な観点から考察してみましたが、次に経済・社会・産業の分野ではどうだったのかを検証すべきだと思います。そこで立花隆・野口悠紀雄による「1940年体制」説をご紹介しますと、 「それは『強制さ […]
2012年7月12日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)時代区分への懐疑 もし現在の日本を「明るい時代」ととらえる者がいたら、それはよほど能天気で頭が悪いか、お金や遊びのことしか考えていない自己中心的な人間だと周囲からバカにされるのが落ちでしょう。とり合えず生きてはいるもののその日暮らしで展望 […]
2012年7月11日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)マッカーサーの変身 マッカーサーの記憶は私にはコーンパイプ姿で厚木に降り立った時の写真と、天皇裕仁と二人並んで撮影されたもう一枚ぐらいしかなく、軍人という印象もあまり強くはありませんでした。しかし経歴を調べてみるとこれが紛れもなく実戦経験豊 […]
2012年7月10日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 日米関係への視座(2010年筆)超克できなかった近代 明治から敗戦に至る日本人の世界観をふり返ると、一つの大きな特徴が見えてくるような気がします。前章で述べた日英同盟への経緯とは、文明開化以降の富国強兵路線が完成し一等国の仲間入りをするまでの過程と申し上げられます。その後第 […]
2012年6月29日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)日英同盟の終焉 大正10年(1921年)5月9日、ポーツマス軍港では大英帝国の誇る大西洋艦隊が満艦飾で打ち揃い、当時の皇太子裕仁を出迎えたのでした。バッキンガム宮殿に向かう沿道は黒山の人だかり、大英帝国は最大級の親しみをもって歓迎したと […]
2012年6月28日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)大地震と金融恐慌 大正12年(1923年)、関東大地震が第一次大戦後の戦後恐慌を構造的に悪化させる中、同15年(1926年)年末には天皇が崩御、一週間ほどの昭和元年が終わった翌昭和2年(1927年)は、暗い時代の始まりにふさわしいものでし […]
2012年6月27日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)石原莞爾の感性 戦前一世を風靡した”西式健康法”というものがありますが、この代替療法との出会いがなければ現在の自分を考えることができないほどその思想は私にとって革命的でした。石原莞爾の名を知ったのもその過程でした […]
2012年6月26日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)日本浪漫派の思想 日本浪漫派について調べている途中、私は偶然にも元赤軍派議長・塩見孝也のホームページに辿り着き、その中の[パトリ論](「さらば赤軍派-私の幸福論」より)に注目せざるを得ませんでした。 塩見によれば、”パトリ&# […]
2012年6月25日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)陸海の亀裂 前節でふれた「十五年戦争」という概念の成立には、実はもう一つの背景があったのではないかと私は考えています。それは関東軍による張作霖爆殺事件(昭和3年=1928年)頃から始まる軍部の暴走と、それに伴う左翼知識人への弾圧とい […]
2012年6月24日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)“事変”と”戦争”の温度差 かつて左翼陣営から「十五年戦争」という概念が提出されたとき、その背景には太平洋戦争の戦死者や空襲による国内の損害といった「被害者意識」だけでなく、満州事変から日華事変に至る日本の侵略がもたらした責任を見つめる「加害者意識 […]
2012年6月23日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)12月8日の光と陰 昭和16年(1941年)12月8日の朝7時前のラジオは、真珠湾攻撃による日米開戦の大本営発表を告げる臨時ニュースに始まりましたが、この反響について保坂は次のように述べています。 「日中戦争が始まってから4年と5ヶ月、日本 […]
2012年6月22日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)検証なき作戦 今、手元の辞書で「大本営発表」と引いてみますと、本来の意味の他に、「ミッドウェー海戦の頃から損害の過少発表が目立ちはじめ、不適切な言い換えが行われるようになり、勝敗が正反対の発表すら恒常的に行ったことから、現在では『内容 […]
2012年6月21日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)天皇の巡幸 戦後世代の私たちが開戦や終戦(敗戦)について語るとき、そのイメージには戦後教育や戦後の論調が投影されているのは当然であり、私自身の抱いていた考えは次のようなものでした。すなわち、天皇は白馬に跨って軍部を統帥し自らも積極的 […]
2012年6月20日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)吉田茂の焦慮 戦後の日本の出発点を担った政治家とされる吉田茂は、昭和42年(1967年)10月に死亡し、その葬儀は戦後初の国葬とされましたが、私たちにはほとんど印象に残らなかったというのが正直なところです。しかし、今回昭和史を遡って来 […]
2012年6月19日 / 最終更新日時 : 2023年5月18日 protoサイエンス 昭和史再考(2010年筆)単眼的トラウマ 60年安保から70年にかけて検証してきた今、私には”左翼”の持っていたさまざまな弱点が時代と共に顕わになり、その脆弱さ故に経済成長の結果もたらされた豊かさの中に埋もれていかざるを得なかったような気 […]