マッカーサーの変身

マッカーサーの記憶は私にはコーンパイプ姿で厚木に降り立った時の写真と、天皇裕仁と二人並んで撮影されたもう一枚ぐらいしかなく、軍人という印象もあまり強くはありませんでした。しかし経歴を調べてみるとこれが紛れもなく実戦経験豊富な軍人であり、太平洋戦争時には日本軍の猛攻でフィリピンからオーストラリアへ退却を余儀なくされたものの、2年半後には「アイ・シャル・リターン」の言葉どおりレイテ島に上陸したことが分かりました。また朝鮮戦争勃発に際しては、国連軍総司令官として仁川奇襲上陸で形勢を好転させたこと、しかし原爆使用も視野に入れて中国・ソ連軍との全面戦争を主張したためにトルーマンに解任されたとされ、この点からみても、生粋の軍人に他ならないと考えた方がよいでしょう。ですから、GHQ最高指令官として日本に赴任した直後には実戦の記憶覚めやらず、復讐心に燃えていたことは想像に難くありません。
昭和20年(1945年)9月11日、逮捕または出頭を命じられた戦犯容疑者のリストにそれが示されるとして、保坂正康は次のように述べています。
「本間や黒田は、元比島方面軍司令官であり、村田は元駐フィリッピン日本大使だし、長浜はフィリッピンでの憲兵司令官だった。東條内閣の閣僚とフィリッピンの軍政にかかわった軍人、軍政官に対して、マッカーサーは強い怒りをもっていたということだろう。-(中略)-マッカーサーの復讐といわれても仕方のないメンバーが並んでいた。」
けれども、もし連合国いや実体はアメリカが、当初のマッカーサーのように”復讐心”だけで日本の占領に臨んでいたなら、戦後の歴史は現在とは相当違ったものになっていたと思われます。しかし、その後GHQにはアメリカ本国から膨大な人員が送り込まれ(最大時点で43万人)、彼らには綿密なプログラムとミッションが示されていたのでした。
連合国軍最高司令官総司令部SCAPは、4つの参謀部(G1~G4)と8つの局を持つ幕僚部から構成され、このうち謀報・保安・検閲を任務とする参謀第二部(G2)が大きな発言権を持っていたようで、このG2とその下にいくつもあった特務機関と占領中の数々の怪事件、-例えば、下山・三鷹・松川事件など-とのつながりは今でも囁かれています。幕僚部のうち民政局GSには、ニューディール政策に携わった経験を持つ者が多数配置され、ここが主導権をもって非軍事化・民主化政策を推進していったといわれています。敗戦の虚脱状態にあった日本人は、農地改革・婦人解放・労働法規や教育法規の改革・財閥解体や経済機構の改革など矢継ぎ早に進められる政策の前に、戸惑いながらもついて行かざるを得なかったといえるでしょう。中でも国民主権を謳った平和憲法の制定が特筆されるべきだと思われます。
しかし、もう一方でGHQが進めていたのは軍国主義の一掃であり、公職追放や東京裁判が広く知られていますが、その背景に徹底した思想工作・洗脳政策があったことは、この後「隷属と平和」の項で検証したいと思います。天皇の人間宣言や国家神道の排除などもこの政策に沿った方針であり、修身・歴史・地理の教科書が墨塗りにされ、あらゆる出版物や言論がプレスコードの対象として取り締まられたことをご記憶の読者もおいでになるのではないでしょうか。
ところで、以上のような占領政策は主として戦前の法律の廃止と、新たな法律の制定によって押し進められたわけですが、それらはいずれも国会において可決成立しています。しかし、当時の状況を考えるとすべてはGHQの指令に基づいていたわけで、仮に法案の起草を日本側が行ってもGHQの意向にそぐわない場合すべて拒否されていたことは、日本国憲法の制定過程に見られるとおりでした。こうした事実を無視して戦後の憲法学者、例えば宮沢俊義が、-憲法9条の改正をめざす改憲論者の思惑から現行憲法を守るため-「制定手続に入る段階で”憲法制定権力”は主権者である国民に存在した」と主張するのは詭弁に他なりません。占領期間中の憲法・法令の手続的過程のみに関していえば、むしろ改憲論者の側から出ている”国際法違反説”が正しいのではないかと思われます。どういうものかというと、国際法上は日米両国の戦争状態は昭和27年(‚54年)4月のサンフランシスコ講和条約発効まで解消しておらず、この期間の米軍の占領は「戦時占領」にあたり「戦時国際法」に従う義務があった。そして占領者には被占領地の法制度を勝手に改変することは許されていないので、占領期間中に制定された諸法令は全て無効であるという主張です。
確かに論理的には国際法違反説の方がスッキリしていると思われますが、ただこの説が成立するためには日本のポツダム宣言受諾が「有条件」であったという前提が必要となります。そしてこのこと自体に関しても、保守と革新側とで-例えば江藤淳と本多秋五-幾多の論争が繰り広げられたのですが、未だ決着がついているとはいえない状況とされています。
これについて磯田は次のように述べています。
「この問題に法的な決着をなんらかのかたちでつけようとするならば-(中略)-『法定追認』の概念を適用する以外にないと思われる。『法定追認』とは-(中略)-強迫などによる”瑕疵のある行為”(不本意な行為)については、その行為の成立した条件後-つまり占領の終了後-に『取消』をおこなうことができ、この『取消』の行為がおこなわれないときには、取消さないことが法的に自動的な追認をうけることを意味する。」
「本来ならば『占領終了とともに旧憲法の復活か、自主憲法の制定か少くとも日本国憲法の追認のための国民投票が行われなければならない』(長尾龍一)のであり、日本国民の選択は国民投票の代わりに憲法の『全部又ハ一部ノ履行』を通じて、その自動的な『法定追認』にゆだねたと解される。」
占領下のGHQによる政策とその関与の下で成立した憲法・諸法令は、少くとも冷戦による占領政策の変更以前は大多数の国民の支持を受けたわけで、それらがそのまま”追認された”ことが戦後史に大きく影響していくこととなっていくのです。

【参考文献】

「近代日本総合年表」第一版(岩波書店)
武者小路・姜・川勝・榊原「新しい『日本のかたち』」(藤原書店)
オープンコンテントの百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
保坂正康「昭和史七つの謎」(講談社文庫)
歴史ぱびりよん 概説・太平洋戦争 終戦工作その1
マスコミが隠してきた日本の真実を暴露するまとめサイト GHQの占領政策と影響
吉本隆明「現在はどこにあるか」(新潮社)
関東学院大学 自然人間社会
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